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就活奮闘記 vol.6

どんな留学をしたか?また、留学でどんな成長を手に入れたか?

留学のきっかけ

Oさんは、社会人を一旦経験した後、会社を辞め、4か月のワーキングホリデーに参加しました。大学で英文科を専攻していたOさんは、学生時代からいつかは長期で海外生活を送りたいという願望を抱いていたそうです。ただその一方で、「学生時代は勉強するために学校に通うのが当たり前、卒業したら仕事をするために会社へ行くのが当たり前」、という、いわゆるステレオタイプで、堅実だと思える視点から物事を考えていたそうです。ただ、そんなOさんも大学4年生の頃に、就職せずにワーキングホリデーに参加した友人を見ていて、とても羨ましく思ったと振り返ります。

自分自身に言い聞かせていた言葉

卒業後は教材販売の会社に就職します。その当時、Oさんは、周りの人たちには、「やりたいことはできるうちにやったほうがいいよ!」とよく言っていたそうです。まさにそれは自分自身に言い聞かせていた言葉だったのかもしれません。実際、そんなOさんは、会社に1年半勤めた後、資金もある程度たまったところで、ワーキングホリデーを決意します。

選んだ国はオーストラリアでした。実は高校時代に学校主催の2週間のホームステイプログラムがあったのですが、Oさんはテニス部部長だったため、その期間、部活を空けるわけにもいかないと考え、責任感の強さから参加しませんでした。しかしながら、参加した友人たちの「楽しかった!」という多くの声がとても印象深かったそうです。そんな学生時代の思いもあり、オーストラリア行きを決めました。

ワーキングホリデーの期間は4カ月。できればもっと長期滞在を希望していたものの、父親が病気であったこともあり、4カ月間に決めました。Oさんの母親はせっかく慣れてきた仕事を辞めてまで海外へ出ることに対して驚いたそうです。一方父親は、「やりたいことは元気なうちにやっておいたほうがいいよ」と理解を示してくれたのでした。

日本語教師のアシスタントの仕事をこうしてGET!!

Oさんの参加したプログラムは、2週間の語学学校へ通った後、子供のお世話をするオ―ペアというプログラムでした。Oさんのオーペア先では、3人の子供がいるファミリーで、うち二人が小学生でした。そこに今後の生活を左右する出来事が起こります。その小学生の通う学校は、山奥にあり全校生の数が10人くらいの学校でした。そこで全学年で日本の授業があったのです。そこで、「日本語のアシスタントをやりたい!」という希望を学校側へ伝えてもらうよう頼んでみたのです。それが功を奏すことになります。何と、学校の先生たちも大喜びでした。Oさんは、そんな経緯から日本語教師のアシスタントをやるようになります。その学校での日本語の先生はとても教え方が上手だったそうです。たとえば、複雑な日本語の助詞を教えるときなど、踊りを交えながら子供たちが楽しく勉強できるように配慮されていたそうです。その学校の先生方の教え方などは、たいへん勉強になったと振り返ります。

Oさんは、今回の海外生活を通じ、単なる机上だけの勉強ではなく、語学学校では短期で友人を作ることにチャレンジし、そしてオーペアでは子供たちと触れ合いながら、オーストラリアの文化や習慣を学び、また日本語教師のアシスタントをすることで、人に教えることの楽しさなど、さまざまな角度から多くのことを学び続けることができ、たいへん充実したワーホリ生活を送ることになります。

帰国後の希望

Oさんは、海外へ行く前から「帰国後の仕事はどうしよう」とよく考えていたそうです。その理由は、学生の頃の就職活動が予想以上に厳しかったからです。そんな中でOさんは、業種としては教育の分野で、「人に教える」ということをキーワードに仕事先を探そうと思ったそうです。

どんな就活をしたか

ACTION1:留学中から就活を開始する!
学生時代に就活で苦労した経験や、就活エージェント・エストレリータの担当であった鈴木からのアドバイスを活かし、就活は早めの準備が必要であると留学中から開始します。帰国の1か月前から留学エージェントの現地オフィスを利用し、インターネットで希望する企業の検索をするなど、帰国前から積極的にアクションを起こしたのです。Webからエントリーする際には、ただ単にエントリーをするのではなく、「私は今オーストラリアにいます。●●ぐらいに帰国予定なので、帰国後に会って頂けませんでしょうか」という言葉も必ず添えてエントリーをしました。担当の鈴木からの「就活では、その他大勢側になるのではなく、特別な一人となれ」というアドバイス内容を忠実に実行に移します。今回就活をする中で、Oさんが自分なりに気付いたことは、新卒の頃は沢山会社を選べるが、中途採用の場合は、会社を見つけた時に応募しないとダメだということでした。つまり、いつ募集がかかるか分からないので、見つけた時に即応募することが必要だということです。ダメもとだと思いながらも、インターネットを利用し、エントリーしたことが功を奏し、自分が予想していたよりも好感触だったと振り返ります。意外にも「帰国したら連絡ください」との返事を企業から届くこともあったり、さらに驚いたことに、「1次審査通過です」とも言われた会社もあったそうです。この辺りは、実際に動いてみないと出せない成果です。
ACTION2:帰国後は自分の足で就活!
そして帰国後には、自分の足を使う就活をスタートさせます。その時は、学生のときに応募した化粧品関係にも応募しました。「保険的に他にも受けておこう」と考え、他の企業も受けまくったそうです。その結果、学生の時はなかなか内定をもらえなかったそうですが、帰国後の就職活動はすべての会社から内定をもらえたのでした。Oさんにとっては嬉しい誤算でした。「転職は大変だ!」と信じ込んでいただけに、その結果に対してOさん本人が一番驚いたことでしょう。
ACTION3:自分の方向性を決める!
Oさんは、もともと学校が大好きだったので、予備校や塾は視野に入れていなかったそうです。できれば学校の良さを、学校に通う楽しさを多くの子供たちに伝えたい、そんな気持ちに溢れていたのです。ただ、近年いろんな理由で学校に行けなくなってしまう子がいます。そんな子供たちこそ、既存の枠にとらわれることなく学校の素晴らしさを理解してほしいと思ったのでした。また、大人と話すことができる子供は割といますが、子供たちだけで何かを作り上げることを嫌う子も多いそうです。そのような子供たちこそ、学校の良さ、みんなで学ぶ楽しさを十分に知ってほしいという思いから、最終的にOさんは、通信制高校のサポート校を選択します。学生の頃は通信制高校のサポート校の存在を知らなかったそうですが、今回の就活を機にその存在を知ることになります。今回の就活は、もちろん、途中のすべてが順調なことばかりではなく、きつい時もあったそうですが、今回の就活を通じ、まだまだ自分が知らない会社があるんだ、ということを強く実感できたと振り返ります。

どんなところに就業したか?

内定をもらった会社のうち、二社で悩んだそうですが、最終的にKTC中央高等学院(学校法人KTC学園屋久島おおぞら高等学校指定サポート校)に就職を決めました。現在勤めているKTCの熊本キャンパスは、Oさんの入社する3か月前に立ち上がったそうです。面接時に人事から熱いメッセージをもらったため、KTCに決断したといいます。

どんな仕事?

Oさんは、現在、教務を担当しています。日々の仕事は、生徒の対応と授業を持っています。「自分が教えたいと思う生徒がいるのであれば、自分で連れてきなさい。」という方針により、教務も生徒募集の仕事にも携わるそうで、それぞれの先生がいろんな仕事を受け持っているそうです。たとえば、生徒募集をする際には、中学校などに出向き、「こんな学校があるんですよ」と伝えて回ることもします。また、余談ですが、Oさんは、英語の教員免許を持っているのですが、今は理科を教えているそうです。そのため、分からないことがあったら、何と、学校訪問のときに聞いてしまうという、Oさんの人懐っこさもそのあたりに伺えます。

ときに生徒から、「理科を勉強して何の役に立つの?」など聞かれるそうです。そんなときは、「先生も今役に立ってるんだよ。いつか必ず役に立つからね。」と生徒の目線に立って一人ひとりの生徒と日々接しています。

Oさんは、「通信制高校のサポート校だからと言って、子供たちに対し、特別に意識して接することなく「うちの学校は楽しいよ」ということを素直に伝える。自分たちが楽しくなきゃその雰囲気は分かってもらえない。」と最後に力強く語ってくれました。頼もしいかぎりです。

人事からのワンポイントアドバイス

1つめは決意する力の強さ。キャリアのスタートもまず「営業」で力をつけた。ワーホリに行くのも「準備はできた、さぁ行こう!」で飛び出した。「先生になりたい」と思い即行動した。決意する力があるからこそ、スピーディーな行動をすることができ、結果的によい結果を引き寄せることができた。

2つめは打席に立つことの重要性。自分の就きたい「先生」という職業を得るために真っ直ぐに進んだが、先生という職業がゴールとは分かっているものの、別の職種でも転職活動をしたことが非常に重要。転職活動で大事なことは相手から「Yes」をもらう力を養うこと。別の職種にも応募するという「打席を増やした」ことがいい結果を引き寄せた。

3つめはフットワークの軽さ。最初の会社に営業職で入社したこと・現地での日本語教師アシスタント・現地にいるときからの転職活動・通信制高校のサポート校へ勤務することへの決意・新規立ち上げキャンパスでの勤務。このように、様々な場面で軽快なフットワークを発揮することで自分の「やりたい・なりたい・したい」が実現できるようになる。そしてこの経験が自信へと代わり、新たなチャレンジができる。