VOICE

海外生活サプリHOMEVOICE:渡航者体験談>volume.16:杉本有香さん

渡航者体験談 / vol.16

「ラッキーガール」と言われた私。でもそれは、単なる「ラッキー」ではないんです!

最初の目標は「日本人以外と一つ屋根の下で暮らす」こと

私にとって海外留学は「いつかやりたいこと」の一つ、いわば「憧れているけれど、実現できないでいること」でした。しかしながら、いつしか私は、仕事に勤しんで気がついた時に留学の機会を逸してしまうこと、TOEICは600以上あっても英語を話せないというコンプレックスを抱えたまま生きていくことが怖くなっていたんです。そしてとうとう25歳のときに、「次のステップに進むには今がチャンスかもしれない」と、イギリス行きを決意。ラストリゾートに相談して二週間後にはワーキングホリデービザの申請、約一ヵ月後には高倍率を潜り抜けて、ビザ認可のレターを手にしました。

イギリスに渡ってから、私が常に念頭に置いていたことがあります。それは「一年しかイギリスにいられないんだから、限られた時間で最大限楽しみたい」ということです。そのためにまず力を入れたのは「日本人以外の人と一つ屋根の下で暮らす」こと。私が一年間生活したロンドンは物価が高いので、日本のようにワンルームに一人で住むよりも、一軒の家やフラットをシェアすることが主流です。そして、この部屋探しで、私のロンドン生活を決定づける家に出会うことができました。偶然見つけたその家には、南アフリカ人、スペイン人、オーストラリア人、ブラジル人、スロヴァキア人が暮らしており、まさに私の理想通り。大家さん(とは言っても三十代)は南アフリカ人の女性で、底抜けに陽気な笑い声も素敵な上に、「枯れた花すら絵になる」アーティスティックな家でした。先に他の人が入居を決めてしまったので一度は断られましたが、急きょ別の人間も引っ越すことが発覚。無事に入居することができました。フラットメイトの友人からは「英語もロクに話せないあんたが、ロンドンでこんな良い家を見つけられたことはラッキーだよ」とまで言われました。でも私は内心、「この家に巡り合うまで、慣れない英語サイトに出る広告を来る日も来る日も読んで、ビューイングに行ってはがっかりして……それでも諦めなかったからここに住んでいるんだ!」と、思っていました(もちろん当時英語でそのことは伝えられませんでしたが……)。

私の語学力upをひそかに支えてくれたフラットメイト

フラットメイトは、イタリア人、メキシコ人、ギリシャ人とどんどん変わりましたが、みんな最高のフラットメイトでした。仕事を3つも掛け持ちしながら画家を目指していたり、35歳を過ぎてから大学に通い始めたり、俳優になるためにオーディションを受けながらシアターで働いていたり、アートビジネスで世界中を飛び回っていたり。それぞれオリジナルの人生を形作っている姿に、本当にインスピレーションと刺激を受けました。

そして、私の英語力向上に一役買ってくれたのも、彼らの存在でした。私は、英語力を徹底的に底上げするために半年間学校にも通い、ケンブリッジ大学英語検定のFCEという資格を取得することも決意。学校の先生には「君の英語力では合格なんて無理だよ」とまで言われましたが、逆にそれをバネにテキストと添い寝をする勢いで猛勉強! その甲斐もあって、なんとか試験に合格。その後TOEICも800点台まで向上しました。

しかしながら、語学力向上のための一番の助けになったのは、学校の勉強ではなく、休みの日にキッチンで他愛もない話をしたことやお互いに料理をしながらレシピを教えあったこと、夜中に一緒に映画を見たり音楽を聴いたりしたこと、連れて行ってもらったクラブで英語が全然理解できなくても輪に混じってひたすら話を聞いて笑ったことetc……。彼らは一度も私の学校の宿題に手出しはしなかったけれど、こういったささいな毎日の積み重ねが私の英語力の血肉となったのだと思います。

ここまで書くと成功ばかりのようですが、もちろん達成できなかった目標もありました。それは、ワーホリビザをいかして、イギリスの出版社でインターンシップかアルバイトをする、ということ。しかし言葉のハンデもさることながら、履歴書を送っても返事が来なかったり、断られたりしているうちに意気消沈。ロンドンで培ったはずの粘り強さを発揮することができませんでした。おそらく原因は、前半の家探しやら遊びやら試験やらで燃え尽きてしまい、肝心な後半に余力を残せなかったこと。一年間は長いのでペース配分も大切です。

長い時間をかけてゴールへとたどりついた就職活動!

もともと私は大学で機械工学を専攻、特に自動車工学を専攻していました。そして学生時代からの私の到達目標の一つとして、「自分のバックグラウンドをいかして自動車関係の書籍や雑誌を取り扱う出版社で編集の仕事がしたい」というものがありました。しかし、自動車関連の出版社と言うのはある意味特殊な業界です。大学卒業後、はじめからこの業界に入ってしまっていのだろうか、という思いも湧き上がってきました。もっと一般的な話題を扱うメディアの仕事というものを見ておいた方がいいし、出版以外のメディアのやり方も知っておきたい……。そこで私は、まず他の媒体でメディア修業をして、その後に海外留学をし、取材などで使える英語力を培ってから出版社で働き始めよう、と決意。およそ二年間、中継レポーターという肩書きでラジオ局に勤め、技術エンジニアや制作、タレントさんのアシスタントなど様々なことに携わりました。そして出版社へとステップアップするためのイギリス留学だったのです。しかしイギリスから帰国した後の就活には、長い時間がかかりました。その一つの理由として、前職が特殊すぎて一般の企業ではそのキャリアが評価されないという点がありました。そしてもう一つの理由は、自分の行きたい会社にとことんアプローチしたからです。

イギリスから帰った7月当時は、目標だった「出版社でのインターンシップ」も達成できず、帰国したところで自分のやりたいことはできないのでは、と半ば諦めモード。帰国後には途方に暮れて、「私の行きたい出版社が一向に採用募集をかけないんです」と鈴木さんに泣き言を言う始末。ところが鈴木さんが、「募集なくたって自分で切り開けばいいじゃん」と言ってくださったことが、ターニングポイントになりました。「じゃあまず、大学の先生に連絡取ってみようよ」と助言されて、自動車業界に顔の利く大学の先生に連絡。自動車関連の記事を専門に書いているフリーのライターさんを紹介してもらい、その方から私が行きたいと思っていた出版社の各編集部を統括する部長さんを紹介してもらいました。そしてなんと、その部長さんと直接お会いして、お話してもらえることになったんです!

さっそく私は、自分の経歴や思いを綴った作文を編集部に持参。販売部長も話に加わり、「自動車のメカニズムや技術に特化した雑誌があるから、機械系出身の私ならその雑誌が向いているんじゃないか」と勧めてくれました。この日の会談はここで終わりましたが、次につながるステップとして企画書の提出を求められました。次の機会に企画書を持っていくと、今度は噂の雑誌の編集長も同席。何度も「公に採用募集をかけているわけではないので採用できるという保証はない。仮に採用できたとしても、アルバイトからのスタートになるだろう」と言われました。ただ同時に「今若い世代で出版の仕事に興味を持つ人が少なくなっているから、その中で志を持っている人の気持ちは汲みたい」とも言ってくれました。この時、9月中旬。面談の後には「月末までには電話しますから」と言われました。

そして待つこと二週間。月末にやってきたのは、たった一通のメールでした。きっと断りを電話で伝えるのは気まずいからメールをくれたのだろうとがっかりしながらメールを開封すると、幸か不幸かこんな文面でした。「社内で大規模な人事異動が始まり、現時点では採用の可否をお伝えすることができません。もう少し待って頂けますか?」……良かった、首の皮一枚でつながった、という気持ちで息をつきました。ところが、連絡のないまま待つことさらに一か月。その間もある会社で働きながら出版社への就活を続け、やっと11月に入ってから、以前お会いした雑誌の編集長からメールが届きました。「社内の人事異動が終わってうちの編集部に空きができました。よかったらうちで働いてみませんか」という文字。自分の努力もさることながら、いろんな人と人のつながりに助けられ、この結果までたどり着くことができました。

相応の代償と多少の折り合いで「ラッキー」を手に入れる!

こうした経緯を経て、現在、私は出版社で編集の仕事をしています。編集は雑誌作りのマネージメントが主とはいえ、記事によっては自分で取材をして執筆する場合もあります。出版社によってはなかなか記事を書かせてもらえないところもあるそうですが、前職のラジオ局で共通する仕事をしていたおかげで、入社3週間目にして取材に出ることを許可され、記事を1ページ書かせてもらえるようになりました。

これも他人に言わせれば、「ラッキーだった」ということかもしれません。ですが、私はラッキーを手に入れるために相応の代償を払っています。言い換えれば、相応の代償を払えば、求めているものは手に入るということです。ただ、必ずしも全ては手に入れることはできないので、その時に自分の理想と現実との折衝点を見つけることも大事なポイントだと思います。

例えば、私が家を探した時は、自分の予算内で優先順位を①人(日本人ではないこと)→②家(住み心地、清潔さ)→③ロケーションの順につけました。残念ながらロケーションは望み通りいかず、交通の便の悪いところでしたが、それを補って余りある人や家に出会うことができました。仕事も同様に、①職種→②会社→③賃金→④雇用形態と順位をつけました。雇用形態と賃金は理想には届きませんでしたが、自分の働きたかった会社でやりたかった仕事ができるようになったことはお金や肩書には代えられません。折り合いの付けられるところでは実現可能な範囲で折れるという柔軟な対応も、理想を現実に近づける一つの手立てではないかと思っています。

他人の経験は、なかなか真に伝わらないところがあるかもしれません。だから、まだ挑戦していない何かを心に抱えている人は、まず行動してみてください。実現しないことももちろんあるけれど、それが実現しないかどうかは行動してみないことにはわかりません。自分の起こした行動で望んでいた何かを手にした時に、他の人がラッキーを手にできた理由がきっとわかるはずです。

杉本有香さん
名前 杉本 有香さん
渡航先 イギリス・ロンドン
渡航期間 2008年7月~2009年7月
渡航目的 スピーキングとリスニングの向上
ヨーロッパのモータースポーツ(自動車)事情を見たかったので