ニュージーランドへの語学留学が決まったのは2007年10月4日のこと。正確には、まだその時には、行き先も、期間も、留学形態も全く決まっていませんでした。ただ、3年間思い続けてきた夢を両親が理解してくれて、援助をしてくれることになったのがその日だったのです。
当時の僕は、やたらなことを言い続けていました。大学卒業後にアルバイトをしてお金貯めて行くと言ったり、数年間どこかで働いてから行くと言ったり。両親、特に父とは、よくいざこざもありました。ただしそれは口論ではなく、話し合いと呼べるものだったと思います。どちらも真剣だったから、感情に流されないように真剣に話し合いました。僕にだって、大金がかかることは分かっていました。だから援助を頼んでいたわけではなく、いつか自分の力で行くことを認めてほしいという気持ちだったのです。僕の留学を認めてくれるまでに何があったかは、父は今になっても教えてくれないので分かりません。ある日、父に呼ばれて急に伝えられた言葉が、「大学4年を1年間休学して留学に行って来い」。……言葉は出ないし、表情も作れません。頭の中は真っ白です。父は続けて言いました。「ただ、資金援助はしてやるけど、準備や手続きは全て自分でやれ」。そこで初めて自分の口から言葉が出ました。「もちろん!」。
ラストリゾートのカウンセラーの分かりやすい指導の下で、準備は慌ただしく、順調に進んで行きました。しかし1つだけ、僕には気がかりがありました。そう、就職活動です。留学の準備で学校の就職セミナーには出られないうえに、帰国の時期が3月の上旬を予定していたため、就職活動には周りよりもずっと遅れてしまうことが不安だったのです。そこでラストリゾートで紹介していただいたのが、エストレリ―タの就職活動サポートのプログラムでした。就職活動のことなんか何にも知らない素人にも、エストレリータの鈴木さんは分かりやすくセミナーしてくれました。「こうすれば内定がもらえる」ではなく、「こうすれば自分を上手く相手に表現できる」。そこを重点的に教えてくれた。そんな気がします。
周りが就職活動一色になる中で、僕は留学の準備一色になっていました。そんな中でも同時に日本に帰ってきてからの就職活動のことが頭から離れることはありませんでした。しっかりと就職して、力を貸してくれた両親を安心させなくては。僕にしては気持ち悪いことを真剣に考えていました。「海外に行っていて説明会に行けませんでした」では、相手の返事も「そうですか」で終わり。自分を売り込むことはきっと出来ない。……勝手にそう考えて思いついたのが、手紙を書くことでした。ポライトな手紙を書くことには自信がなく、誰かのアドバイスが必要でした。思い切って鈴木さんに伺ってみると、快く引き受けて下さいました。鈴木さんの協力のおかげで日本にいるうちに、手紙はほぼ完成しました。行きたい企業も具体的に決まりました。あとは留学を成功させるだけ。出発前に出来ることは全てやりました。
そして出発の日。空港のロビーで父が最後にかけてくれた言葉が忘れられません。「おい、なんか色々やっていたみたいだけど、後のことは後で考えろ。頑張ろうとするな。11か月間しっかり遊んで来い」。気持ちがとても楽になりました。意地でも満足して帰ってきてやるって思いました。年末に、連日の朝から深夜までのアルバイト、留学の準備、大学の試験、就職活動の不安と全てが重なって、アルバイトからの帰宅後に過労のせいで部屋で失神したことも、両親は知っていたみたいです。
ニュージーランドに着いたときに、僕が教科書と辞書なしで話せた英語表現は数えるほどでした。ホームステイ先でも、会話の1割も分かりません。頂いたその家のルールブック(A4で1枚半くらいの)を2日かけて辞書を引きながら読みました。
悔し涙が初めて出たのは着いて1週間くらい経った頃。クラスの韓国人の友達に連れられてスターバックスに行きました。ココアを頼みました。しかし、店員さんには全く僕の英語が通じず、時間がかかって後に回されました。その後、友達が代わりに頼んでくれましたが、家に帰ってからも悔しさは消えず、初めて涙を流しました。「ただじゃ終わらねえぞ」って決心をしました。次の日、同じ店に行って、注文するカウンターの前の席に座って、辞書、ノート、ペンを広げて、ネイティブのお客さんが何と言って注文しているのか、聞きました。もちろん一回では聞き取れなかったので、1時間くらい座って聴き続けました。その時覚えたのが “Can I have a coffee please?”。こんな短いフレーズですが、その後ドキドキしながら自分で注文しました。前日と同じ店員さんでしたが今度はスムーズに頼めました。それ以来、どこに行くときでも、ペン、メモ帳、辞書は欠かさずに持ち歩くようになりました。
それと並行して、企業に手紙を書きました。全部で5社に出しました。返事は返ってきませんでした。ただ、今できることはやった。これでしばらくは留学に集中出来ると安心したのを覚えています。
そこからは無我夢中で勉強しました。友達もいっぱいできました。チャレンジもしました。ネイティブとより多くからむ為に、ボランティアでもいいから働かせてくれと、一人でいろんな店に直に頼みにも行きました。10軒以上回り、そしてやっと皿洗いで採用してくれたカフェからは、初出勤日の前日にビザの問題が出て、話が流れてしまったこともありました。次に僕がインターネットのボランティア募集のサイトで見つけたのは、クリスマスのサンタパレードのボランティア。応募した次の日に、是非クマさんの着ぐるみを着て参加してほしいとの返事を頂き、参加しました。炎天下の中着ぐるみを着て2時間以上動きまわり、半死半生の思いでしたが、いい経験になりました。
年が明けてからは、手紙を送った企業のエントリーシートを作成しました。Webでの適性検査も、夜にインターネットカフェに通って受けました。3時間かけて作成し、後は送信ボタンを押すだけだったエントリーシートのデータが、インターネットカフェのパソコンの誤作動で全て消えてしまったこともありました。……その夜はお酒を飲みました。
なんだかんだありましたが、友達もたくさんできて、英語もたくさん勉強できて、納得いく形で僕の語学留学は終わりました。
さて、問題は帰ってきてからでした。就職活動を開始したのが3月の半ばくらい。ほとんどの企業が1次募集を締め切っていました。ニュージーランドでエントリーした企業は全て落選し、途方に暮れそうになりましたが、意地で動き続けました。エストレリ―タのセミナーでもらった資料を見ながら、自己アピールのシミュレーションをして、毎日東京や横浜に通いました。交通費を稼ぐためにアルバイトもしていました。受けては落ちて、また受けては落ちてを繰り返しましたが、ひたすらぶつかり続けました。
就職活動を初めて1か月を過ぎたころ、初めて内々定を頂きました。東日本旅客鉄道株式会社様からでした。正直受かるわけがないと思っていた、僕にはもったいないほどの素晴らしい会社です。そしてそこで、僕の就職活動も終わりました。たった1カ月と少し。非常に短い就職活動でした。確かに期間は短いです。みんなは信じられないって言います。でも、動きました。結果がすべてだというなら、僕は満足いく結果が残せたと思います。何よりも、家族を安心させられた。それが1番嬉しいです。
うまくまとめられませんが、最後に、ニュージーランドで恩師が僕にかけてくれた言葉を紹介したいと思います。就職活動の話をしていて、自分の短所は分かるけど長所が見つからないと嘆いているときに先生は言いました。「それが長所じゃない。あなたは自分の短所をきちんと理解していて、自分で自分を縛ることで追い込んで、その短所を補おうとしている。短所を知っていること、そしてそれを自己矯正で補えること。その2つは長所と言えないかしら?」そう言われて、視野が変わりました。もちろんその言葉を面接でも使いました。何よりも先生が自分のやり方を認めてくれたみたいで、すごく嬉しかったです。
それから僕が就活に出遅れていて焦っていたときには、先生はこうも話してくれました。 「私は過去に興味がないし未来にもあまり興味がない。過去なんか変えられるもんじゃないし、未来を見たって今の時間が過ぎてくスピードは変わらないから。 私が興味があるのは今だけだね。今をどれだけ楽しんでやるか。そうすれば楽しい過去を作れるし、振り返らずにすむから。ほら、今は明日の過去でしょ?うだうだしてないで今を楽しみなさい。 時間は待っていてはくれないよ。 先の事は、その時になってから考えればいいの。 私も一緒に考えてあげるから」。その言葉で不安が全て吹き飛びました。日本に帰ってからのことは日本に帰ってから考えればいいんだ。もうやれることはやったんだから。そう思えました。
最後に別れの挨拶に行った時にもガツンとくる言葉を言われました。
“Keep smiling!!”この言葉には笑顔を絶やさずにねっていう意味のほかに、なんでも楽しみなさいって意味もある言葉らしいです。「後者の意味を忘れないでね」って言われました。何でも楽しむ。今の僕のモットーです。
就職先が決まってからは、英語の勉強を再開しました。英会話に週に2回通い、ニュージーランドに行く前に始めた、寝る前の英語暗唱トレーニングもかれこれ2年以上毎晩欠かさずやっています。母校の小学校に行って、AETの先生を紹介してもらって、仲良くもなりました。韓国にも一人で旅行に行き、友達の家に泊まりました。とにかく、有意義な生活を送っています。
留学、就職活動を経て、ここには書ききれないようなたくさんの思い出が残りました。良い事ばかりではなく、辛いことのほうが多かった気がします。毎日必死だったから、たまにある、友達と笑いながら過ごしている時間が楽しい。毎日遊んでいる人とは楽しさのレベルが違うと思いました。語学留学、そして帰国後の慌ただしい日々。この2年間に悔いはありません。
名前 | 藤岡 学さん |
---|---|
渡航先 | NZ オークランド |
渡航期間 | 2008年3月28日~2009年2月28日 |
渡航目的 | 語学力の向上 |