僕は2008年の11月、カナダにワーホリで来ました。しかも海外は今回が初めて。英語の勉強や英会話も、日本ではほとんど経験がありませんでした。
もともと大学に通っていたときから、海外留学に行きたいと思っていましたが、夢を果たせないまま就職。しかし性格的にそれほど前に出るタイプでもない上に、仕事も忙しく、とても会社を辞めるような勇気はありませんでした。そんなある時、仕事場で英語のできるスタッフと出会い、いろいろ話していくうちに、昔考えていた海外留学のことを思い出しました。そこから、海外に行きたい!ともう一度考えるようになったんです。悩んで、悩んで、仕事の忙しい最中、上司に相談してみると、意外にも上司は真剣に話を聞いてくださりました。そして最後に一言「行って来い」――。この言葉をもらった時は、本当に嬉しかったです。
そしていざカナダへ留学。バンクーバーに到着したその日から、1ヶ月間はホームステイをしました。ホームステイ家族は、夫婦と2人の兄弟の4人家族。家の周りは木々が生い茂っており、時折リスやスカンクが顔を覗かせます。本当にお恥ずかしい話ですが、僕は英語がまったく話せず、人と話すのにも緊張してしまうぐらいでした。しかしホームステイ家族はそんな僕をあたたかく迎えてくれました。……が、初めての環境、言葉、文化で、ほとんど会話を交わすこともなく、1週間終わりました。そして次の週にはESLに通うようになり、学校と家を行ったり来たりする日々が始まりました。学校では一番下のクラスからスタート。先生は2mを超える巨体でしたが、心は赤ちゃんをあやすかのごとく優しく、丁寧に教えてくれました。ところが、徐々に英語にも慣れて楽しくなってきた一方、自分のモチベーションはどんどん下がっていくばかりでした。
というのも、カナダに来る前に僕は自分の目標として、日本人の友達は極力作らないようにして、外国の人達と友達になろうと決めていたんです。しかしながら、この目標があとあと自分で自分の首を絞める結果になってしまいました。実際、カナダに来てから、学校でもプライベートでも日本人の友達を作ろうとせず、それこそが僕にとっての大失敗だったのです。学校の友達とも英語、家に帰っても英語、悠長に話せればまだストレスも溜まらないのですが、自分の意見も伝えることも出来ず、Yes,No挨拶が話せる程度。どんどん英語力は向上しますが、反比例するように気持ちは急降下。1ヶ月もすれば不安が勝ち、日本に帰りたい衝動に駆られるほどでした。
そんな時、学校に救いの手が舞い降りました。僕のクラスに、一人の日本人女性が転入してきたんです。この女性が、僕のカナダ生活において必要不可欠な存在になりました。最初は僕もほとんど話さなかったのですが、授業を一緒に受けるうちにお互い不安な部分を話すようになり、僕には心を許せる日本人の友達が必要なんだということに気づきました。留学前にどんなに想像をふくらませていても、実際にその環境になってみるとまったく状況は違うし、臨機応変に考えていかないと対応できないことも学びました。
その後僕はバンクーバーを離れ、隣の州のキャンモアという場所に移動しました。やはり5ヶ月も経つと土地にも人にも慣れてきてしまい、どうしてもモチベーションが下がってしまいます。その気持ちで残りの生活を過ごすのが嫌だったので、移動を決意ました。キャンモアでは、ゴルフ場、レストラン、結婚式場が併設された施設で、キッチンヘルパーとして働いていました。100%英語環境で、ほとんどの人がカナディアンでした。仕事場は山の中腹にあり、ダウンタウンから約40~50分かかるところ。そこには50人ぐらいの寮があり、男女兼用でした。
仕事場が決まった当初、僕は楽しみ80%、不安20%ぐらいでした。……が、またここでモチベーションが下がる出来事がありました。バンクーバーはいろいろな人種の人達が英語を学びにやってきているので、周りの人達がそれなりにフォローしてくれましたが、この土地はほぼ地元の人で観光客がちらほらいるぐらいの町。とっても気さくな優しい人たちばかりなのですが、話す言葉がとても早く、まったく英語がわかりませんでした。5ヶ月も勉強したので少し自信がありましたが、ほとんど通用しませんでした。仕事場には日本人も一人いましたが、日本語は使わない約束をして、すべて英語で過ごしていました。そんな中、僕はそこで大きな問題に直面したんです。
1カ月ぐらい経ったときのことです。僕が仕事をしていると、あれやってこれやってと指示を受けるのが常でした。僕は間違えながらも、ひたすら一生懸命働きました。これをやっといてと頼まれると、断らずとりあえず「Yes」。あれやっといて「Yes」。しかしながら相手がやってほしかったこととまったく違うことも多々ありました。しかしながら、1カ月を過ぎて、みんながだんだん僕に指示を出さなくなってきたのです。僕はこれを「お、慣れてきてうまく馴染んできているんだな」と感じていました。1カ月もたつと調理器具の名前のヒアリングもできるので、何かひとつ単語がわかれば、自分で推測しながら行動をしていました。しかし、それが仇となったんです。仕事場には、もう一人カナダ生まれの日本人がいて、日本語はそこまでうまくないけれど、ときどき通訳してもらうことがありました。その人が、ある日の仕事終わりに話してくれました。「なぜきみは、わらかないのにYesというの?」。僕は、そこでとても衝撃を受けました。確かに僕は完璧に理解していなくても、なんとなくわかったら「Yes」と言っていました。もしかしたら、僕はその状況が嫌で、無意識に話を終わらせたくて「Yes」と言っていたのかもしれません。そして僕がそういう対応をしていくうちに、だんだんとみんなからの信頼をなくしていたんです! その数日間は自分が嫌でしょうがありませんでした。28年間、こうやって生きてきたことに恥ずかしささえ感じました。その話を聞いてから、わからないときにはわからない、すぐには「Yes」と言わないように努力をしました。
癖がついているものはなかなか治らないので、努力を続け、僕は徐々に信頼を取り戻していきました。そして、僕のお別れの日には、みんなが僕のためにパーティーを開いてくれて、朝まで飲み明かしました。その日は初雪が降り、パーティーも深々と雪が降り続け、思い出に残る出来事になりました。
僕がカナダに来て、こうして1年間過ごせたことは、とてもすごいことであり奇跡の連続でもありました。もともとは英語が本当にできず、Hello!! Yes!! No!!が言えるくらいでしたが、今では(一応)会話が成り立つぐらいにはなりました。 そして僕がこのワーホリで体験できた一番の奇跡は、いろいろな人との出会いでした! 出会いが、こんなにも大切で必要だとは思いませんでした。 日本なら当たり前のようにすれ違っていた人、見た目で決め付けてこの人苦手だなという人、そういう人達ともカナダじゃなければ決して出会って話してはいなかったでしょう。もちろん他国の人達もです。さらに僕はカナダに来ることによって、いろいろな人、文化、食べ物、建物と触れることが出来ました。僕にとってはかけがいのない経験になり、最高の思い出になりました。
もちろん新しいところに行けば、苦難も待ち受けています。誰もがそうだと思いますが、この苦難を乗り越えることによって次の苦難に立ち向かえる力がつくんだなと感じました。これを読んでいただいた皆にとっても、きっと海外留学は決して全てが楽しいものではありません。しかし、それを受け入れ乗り越えることが、海外生活の醍醐味でもあります。みなさまにもぜひ体験していただきたいです。
名前 | 永江 隆幸さん |
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渡航先 | カナダ・バンクーバー |
渡航期間 | 2008年11月~2009年10月 |
渡航目的 | 語学力の向上・異文化交流 |