私がニュージーランドへワーキングホリデーに行くことを決めたのは、27歳のときのこと。決心したのはいいものの、正直、帰国後の就職に対しては不安な気持ちもありました。私はその当時、公務員として5年間保育園で働いており、「大好きな仕事を辞めてまで海外に行くのだから、必ず留学を成功させて、未来の自分につなげなくちゃ」と、思いつめていたんです。そんなとき、留学エージェントの担当の方から伺ったのが、エストレリータの就職斡旋のプログラム。話に興味を持った私は、さっそくプログラムを受けてみることに。ワークショップでは、エストレリータの鈴木さんの真剣な顔とお話に圧倒される場面もありましたが、企業に求められる人材やその方法について、多くの知識を得ることができました。また、海外渡航が決まっている人たちと意見を交わす機会もあり、企業を経験したことのない私にとっては、とても刺激的な内容でした。
いろいろな知識を得ることができたワークショップですが、一番印象に残ったのは、「Willを描いて、Canを増やそう」「きっかけは待つのではなく、自ら意図的に作ることが大事」といった言葉です。実際に海外に渡った後にも、さまざまな場面で必要なフレーズが鈴木さんの顔と一緒に思い浮かび、私のモチベーションを高く保ってくれる大切なキーワードとなりました。鈴木さんの講義からは、就職についてだけでなく、人としての気持ちの高め方、人生を円滑にしていく方法も学べたように思います。また講義の中では、5年間保育園で一生懸命働いたからこそ理解できる心情もあり、「人生って楽しいな」とつくづく感じることも。今後の人生設計を考える講義では、「今まで本当にいい人たちに恵まれてきたんだな」という感謝の思いがこみ上げ、涙が出てくることさえありました。私にとって、海外に行くということはそれだけ大きな決断であり、たくさんの人に支えられているからこそ行けるのだ……。改めて、そう気づくことができました。
同じエージェントを利用した同時入国の仲間と初めて出会ったのは、オークランドの空港でした。そしてこの出会いが、1年間の素晴らしいニュージーランド生活のスタートであり、かけがえのない仲間とのファーストコンタクトでもありました。
学校は、何校か受けたトライアルの中から、NZQA認定の児童英語のTESOLの資格が取れるAEAを選択。しかし入学テストを受けた結果、その資格を受けるレベルではないクラスからスタートすることに。私はTESOLクラスに入ることを目標に、学校、図書館、ホームステイ先を行き来するという生活スタイルで、毎日を過ごすことにしました。毎朝5時に起き、7時半には学校に着き、授業が始まるまで一生懸命に勉強。しかしながら苦痛に思うことは一度もなく、社会人から学生に戻ったことで、学べることの楽しさを改めて実感する日々でした。また、学校では外国人の友人もでき、プライベートも大充実。ホームパーティーにもよく誘われていたおかげで、平日は英語の勉強、週末は会話の実践と、素敵な日々を過ごすことができました。
しかしながら留学生活にはスランプがつきもの。TESOLのクラスに入るには、事前に校長の面接を受けなければいけません。私は一度面接に落ちた上に、クラスがレベルアップしたこともあり、英語が上手に話せない自分に対し、ストレスを感じ始めていました。おまけに、そんな時だというのにバイトを始めてしまったため、生活のバランスも崩れ、悶々とした気持ちからなかなか抜け出せずにいたんです。
そんなとき、同じエージェントだった友人も同じ壁にぶつかっていたことがわかり、お互い意気投合! オークランドの街を散策し、海を見て歌ったり、人生について深く語ったり。「友達って、なんて素敵なんだろう」と、温かい気持ちになりました。そして、このスランプがきっかけで、「ただ机に向かう勉強だけでなく、オークランドやニュージーランドについて、もっと知ろう!」と思えるようになったんです。やる気を取り戻した私には、怖いものなどありません! 無事TESOLコースの面接にも合格し、校長にも成長したと褒められました。その時期からJ-SHINEの資格も同時取得できることになったのも、私にとってはラッキーなことでした。
そして、待ちに待ったTESOLのクラス! 毎日プレゼン、英語での講義、クラスメイトとの話し合いがあり、忙しい毎日でしたが、今このクラスにいるのだと思うだけで、もう幸せ。どんなに難しい授業でも、頑張ることができました。また同じ目標を持つクラスメイトにも恵まれ、授業以外でもみんなで積極的に交流を持つことで、結束力を深めることもできました。全員が資格を取得することができたときには、本当に嬉しかったです。
授業も修了し、「学校の次は絶対に働く!」と決めていた私は、オークランドのある北島から南島にひとりで移動することに。運良く、比較的日本人のいないFranz Josefというところで、住み込みの仕事を見つけることができました。そこから4ヶ月は、「もう一度学校に行くこと」「旅に行くこと」を目標に、朝から晩まで働く日々。朝はハウスキーピングの仕事、昼からはレストランで働き、忙しいときには一日14時間くらい働いたこともありました。職場には、日本人がいなかったので、もちろん、やりとりは全て英語です。通じないところは、ジェスチャーや表情でカバー。一生懸命に働くことで、信頼感も生まれ、楽しい職場環境を築くことができました。クリスマスにはパーティーにも招待されて、「一生ここにいたい!」と思うほど、居心地のいい場所に変わっていきました。もし、ここでの経験がなければ、こんなにも英語に興味を持たなかったでしょうし、英語が人とのつながりを深めるためのものであることには気づかなかったと思います。Franz Josef 大好きです!
そして2月には、目標のひとつでもあった旅へと出発。同時入国の仲間たちが、一気に合流!!メンバーの一人が念入りに計画を立ててくれたこともあり、ビンボー旅行ではありましたが、忘れることのできない思い出ができました。約1ヶ月、バスやレンタカー、飛行機、フェリーを使って移動したり、バックパッカーで泊ったり、みんなでご飯を作ったり……。今しかできないことを、存分に楽しめた旅でした。一番の思い出は、ダウトフルサウンドのオーバーナイトクルーズ。大自然に圧倒され、みんな言葉も出ないほど。「これぞニュージーランド!」というほど、迫力のある、素晴らしい景色でした。これからニュージーランドに行くという人にも、絶対オススメです。
気づけば、早いもので、あっという間に1年が終わろうとしていました。最初は、何もかもビクビクしていましたが、エストレリータで教えてもらったように、Willが多くのCanに変わっていくことが実感できました。何かにぶつかったときには「できないは、夢泥棒の始まり」という言葉が思い出され、きっかけを自から作っていくことで、どんどんチャンスにも恵まれました。また前向きな気持ちは、素晴らしい友だち、そして素晴らしい仕事仲間との出会いを与えてくれました。そして何より、渡航前に立てた計画を全て実践できたことが、私にとっては大きかったです。帰国後には、本当によく頑張った、と自分をたっぷり褒めてあげることができました。このような素晴らしい1年を過ごすことができたのも、愛する家族、友だち、前職場での上司、同僚、後輩のお陰だと思っています。
海外を経験して、私の価値観は大きく変わりました。文化、価値観、言葉、人種が違っても、親切、誠実な気持ちは共通であり、人として大切であるということ。目標があれば、物質的に豊かでなくても、充実した素晴らしい日々を過ごせるということを、身をもって学ぶことができました。また海外に出たことで、もっと日本を知ろうという愛国心を持つことができたと思います。本当に最高の海外生活でした。
今、私には、夢があります。子どもと関わる仕事に就き、少しでも子どもたちが幸せに思えるお手伝いをしたいということ。また、私自身が幸せな家庭を築き、私自身が幸せであること。その時、この海外での経験がきっと生きると思うし、私を支えてくれると思います。全てに対し、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
名前 | 近藤 保子さん |
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渡航先 | ニュージーランド・オーストラリア(ワーキングホリデー) |
渡航期間 | 2008年6月〜2009年9月 |
渡航目的 | 英語を学ぶことと、海外で生活をすること |