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シリーズ「意見・異見・偉見」

第7章 日本のあるべき姿を考えろ

なぜ日本人は、お金を稼ぐのは悪いことだ、と思いこんでいるんでしょうか?

それは市民革命を経ていないからです。ヨーロッパではお金を蓄え、力を持った商人たちが自分たちで城壁都市を作り、領主を追いだして自治権を手にしました。すなわち、民主主義の誕生です。そんな彼らは、さらにひとりの力では出来ないことをやり遂げるためにお金を出し合って船を買い、傭兵をやとって貿易を始めました。東インド会社の成立であり、これが株式会社の始まりと考えられています。つまり民主主義と株式会社は、同じ頃に同じ目的で生まれているんです。また彼らは自分を正当化するために宗教改革をも推し進めました。基本的に「金もうけは悪だ」と考えるカトリックに対して、プロテスタントを確立し、「お金は神様の賜物だから、金持ちになれるのは神様に愛されている証拠」という都合のいい発想転換をしたんです。この3つの出来事が基盤になってヨーロッパの民主主義、資本主義が発展してきたんですね。

それでは日本では近代化はどのように進められたのか、ちょっと振り返って見ましょう。日本でも、明治維新によって徳川幕府が倒されました。しかしあれば、市民革命ではなく、クーデーターですよね。体制のトップ1割を占める武士階級の中で、下級武士が上級武士を倒したというだけ。結局、国の成り立ちは変わらず、士農工商の序列はそのまんま。「金持ち争わず」を伝統とするこの国では、商人たちは革命を起こす代わりに、菓子折りの底にお金を入れて、「お代官様、よしなに・・・」なんて言って、お金を使って背後で権力を操るだけで、自分で戦って主導権を取ろうとはしなかった。その結果、今日に至るまで金を扱う商人は卑しい、=「金儲けは悪」という観念から抜け出せないでいる。だから現代社会においても、医療に株式会社が参入すれば金儲け主義が蔓延するから、これは許せない、なんて馬鹿げた議論がまかり通るんですよ。今の社会は驚くほど、江戸時代と変わっていません。例えば、厚生労働省のなんとか局には広島県出身が多いし、歴代の総理大臣は圧倒的に山口県出身が多い。要するに薩長土肥が政治の実権を握った明治維新の時代から、何も進歩していない。だから日本人には、民主主義とは何か、その本質が理解できないんです。

極端に言えば民主主義と、株式会社とは同義です。ひとりの力でできないことを、皆でお金を出し合って実行するという点では株式会社も地方自治も同じなんです。八王子で考えると、例えば地方選挙は株主総会。市長や市議会議員は、CEOと執行役員に当たります。そして、市民の税金は、取られたものでも、あげたものでも、もらったものでもなく、皆が一人の力では出来ないことを実現するために出しあったお金、すなわち株式です。株主である市民がCEOを選ぶという構図を考えたら、市長の責任は明確になりますね。そう、彼の責任はこれを何に使うかじゃない。重要なことは、株主たる市民に一体いくらのリターンを約束するかです。日本は、税金はとられたものと思っているから、何に使われるかさえ気にしない。普通、株式を買うときは、リターンを考えますよね。でも政治においては、日本人はリターンを考えない。だから自国の利益を度外視して意味の無いところに多額のODA資金をつぎこみ、結果として国を滅ぼすことになるんです。

最近モンゴルの首相が日本に来て、国会で演説したんですが、彼が最後に何と言って挨拶をしめくくったかわかりますか? 「日本のみなさん、目を覚まして下さい。目ざまし時計がなっていますよ」、そう言ったんです。いい言葉ですね。私は、それを聞いて感動しましたよ。日本人は、もう起きなくてはいけない。だいたい日本人はぼんやりしすぎている。今、世間ではTPPがどうのこうのと議論されていますが、明治以来、国のあり方を本当に真剣に議論してこなかった日本人にそれに関する本質的な議論などできるわけがない。そもそもTPPは多国間との協議によって内容が決まるものだから、自分の主張すべきことは主張し、そしてその主張を通すためには相手の弱点を把握してそこをつき、交換条件に持ち込まなければならない。国家のあるべき姿をわかっていない政治家が、TPPを議論することなど土台無理な相談です。

私は基本的に自由化論者だから、何につけ本来自由化には賛成です。でも現時点でTPPに加入することには全く反対です。TPPは黒船と同じですよ。黒船来航時、幕府はパニックに陥って不平等条約を結ばされ、その後はどんどん押しまくられて結局は第二次世界大戦で完膚なきまでに叩きのめされて終わる。欧米列強の手のひらの中で弄ばれていただけで、その間一度も自分たちが本来どうあるべきか、あるいはどうありたいのかが議論されることはなかった。今、TPPに関する議論が戦わされる中で、加入しなければ日本の将来はない、と主張する経団連他の産業界と、加入すれば崩壊は免れないと言う第一次産業や医療の間のせめぎ合いが続いていますが、大局にたって日本はどうあるべきか、といった議論はどこからも聞こえてこない。

本来第2次世界大戦に敗北した時点で、日本人は自分たちのあるべき姿について根本的に考え直すべきだった。それは明治維新以来の混沌と闇雲な暴走を反省し、成熟した国家を作り上げるいい機会だった。でも、このときも日本はGHQの指示を無批判に受け入れ、そのお情けにすがって生きる道しか選びませんでした。それでも冷戦に対するアメリカの政策で日本には多額の資本が流れ込み、まじめな国民性もあいまって世界が驚嘆するような復興を成し遂げられたわけです。でも、団塊の世代の人たちは、この間の国の経済発展を自分の創意工夫、努力の結果と信じ込んでしまっている。違いますよ。努力の結果なんかじゃない。日本人は戦後ずっと大きな船に乗って、他力本願で川をさかのぼっていただけ。自分自身は何もしていない。何もしなくても地価も株価も上がり、小金を銀行に預けておけば誰でも利益を手にすることができた。でも今、上流に至り、水深が浅くなったために船が座礁してしまった。それでも上流に向かおうとするなら、今度は自分で泳ぐか歩くかしかない。でも今までただ船に乗っていただけなので、自分では泳ぐことも歩くことも出来ない。それで、以前はうまく行っていたんだから今後もうまく行くはずだ、といい加減に制度疲労を起こして見直しが必要な国民皆保険や年金、旧態依然とした政治システムにしがみつく。つまり100何十年もこの国は何も考えてなかった。国のあるべき姿について議論してこなかった。そこが問題なんです。

今、国内で日本のあるべき姿を話しあっている人や組織はありますか?

見たことないですね。だから、私はこうしてみなさんにお話している。ひとりでも多くの人に、私の考え方を伝えないといけないと思っているんです。

本当に医者の範疇を超えていらっしゃいますよね。

間違って医者になっちゃいましたからね(笑)。もともと私は、歴史をやりたかったんですよ。でも歴史とは本来文献学であり、そして過去の文献を正しく読み解くためには、それを書いた人の心理に関する深い洞察力が必要になる。そこから精神医学にまで興味が広がり、結局医学部に進学する羽目になったんですよね。

でもね、今私は医学部に入って、そして脳外科に進んだことは正解だったと思っています。私は、またとない正解の道を歩んできた。ひとつでも違った道を歩いていたら、今の私はいない。私は30代の頃、飛行機にのると、離発着の度に掌に汗をかいて家内に笑われたものです。今思えばきっと無意識のうちに自分の人生、こんなはずじゃない、今何かあったら死んでも死に切れない、ときっとそう考えていたんだと思います。でも今、私は自分の夢の実現に向かって真っ直ぐに歩んでいるという確信があります。よく「先生のゴールは何ですか?」と聞かれるけれど、ゴールなんてない。常に新たな理想を追い求めて歩いているので、どのタイミングで死んだって、志半ばで死ぬことになる。でもそれでいい。人は自分の理想に向かって歩いている、と確信できるときに幸せを感じ、違った方向に歩かざるを得ない自分を認識したときに不幸を感じるのではないでしょうか。 そういえば最近は飛行機に乗っても、離陸する前から熟睡し、着陸するまで目覚めないことが多くなりました(笑)。

―了

INTERVIEWER:鈴木 信之(株式会社エストレリータ代表)
WRITING:室井 瞳子
PHOTO:堀 修平
北原茂実プロフィール

医療法人社団KNI理事長。1953年、神奈川県生まれ。東京大学医学部を卒業後、同大学脳神経外科入局。1995年、北原脳神経外科病院を開設(2010年に北原国際病院と改称)。その後、1997年北原RDクリニック、2004年北原リハビリテーション病院、2010年北原ライフサポートクリニックを順次開設。最近は、被災地の復興、八王子のまちおこしなどの他、内戦によって荒廃したカンボジアの医療供給体制を立て直すため、同国初の総合医科大学と附属病院の建設準備に奔走中。