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シリーズ「意見・異見・偉見」

第1章 医療を輸出産業へ

北原国際病院は、院内の内装やデザインもホテルのようで新鮮ですね。なぜ、このような空間にしたのでしょうか?

私は医療を、アートだと考えています。医療は一幕の芝居であり、患者や医療者は病院という舞台の上でそれぞれの役割を演じる役者、自分はその芝居を芸術の域にまで高める事を求められている舞台監督だとね。

かつて、リストカット後、適切な外科処置は受けたもののリハビリの不足で手が思うように動かず、心の傷も癒えないままの若い女性が、藁にも縋る想いだったのでしょう、私の外来を訪ねて来たことがあります。専門外とはいえ救いを求めてきた彼女を受け入れたのはもちろんのこと、上質な作業療法とメンタルケアを必要とする彼女に対して、私は受け手を特定しないオーダリングシステムに頼ることなく、彼女を最も理解してあげられるだろう作業療法士をその場に呼んで紹介し、メンタルケアについては精神科医に任せることなく自分が担当することにしました――なぜか。傷ついた心と体がケアを求めているときに、その気持ちに添えない医療者、癒しの術を持たない医療者に出来ることは何もありません。医療の世界では「何をするか」以上に「誰がするか」が大きな意味を持つのです。健常な人だって本当は自分が関わらねばならない相手に対して虫が好く、好かないがあるわけですから、病んでいる人が治療者を選びたいのは当然でしょう。だからこそ、配役にはこだわらなくてはならない。

治療空間についてもこれと同じことです。病院に行くと、そこにいるだけで気が滅入り病気になってしまうような感じがしませんか。心が萎えてしまってはいい芝居は出来ません。即ち病気も治りません。

それで私は病院開設以来基本設計や内装デザインは原則自分で手がけるようにしています。一番気を遣っている点は、人それぞれが気持ちのいい自分の居場所を確保できるよう配慮することですが、色彩など細かな点にも脳と神経を扱う病院ならではの工夫を施しています。例えば、駅前の北原ライフサポートクリニック。ここでは待合室はまるで銀座のバーのように寒色系を用い照明も落としているのに対し、診察室は暖色を用い、とても明るく作られています。一般的に寒色系を用いた暗い空間は、広く感じるし、また時間の経過を遅く感じさせます。逆に明るい空間はせまく感じるし時間の経過を早く感じさせます。銀座のバーとファミレスの違いを考えれば理解できますよね。この原理を応用することによって、患者は待合室では混雑や長い待ち時間を苦にせずにすむし、一度診察室に入れば医療者を身近に感じ、訴えに十分耳を傾けてもらえたという満足感を得ることが出来るわけです。

光だけでなく、音や匂いなどの感覚とそれによって惹起される感情は、非常に深く人間の生命に関係しています。よく「笑うと長生きする」と言われていますよね。これは事実だということが、近年わかってきています。例えば、糖尿病の人に500キロカロリーの食事を与えて、つまらない教授の講演を1時間聴かせた後で、血糖値を測ると、血糖値は200ぐらいまで上がります。一方、食事後、お笑いのビデオを見せて血糖値を測ると、血糖値は50くらいしか上がりません。つまり、糖尿病の患者さんでも、満足していると血糖値が上がりにくいんです。

そういうことをすべて含めて考えると、医療空間というものは、本当はとんでもなく居心地のいい場所でなくてはならないことがお分かりいただけると思います。だからこそ、私は空間デザインはもちろんのこと、スタッフの人選、ユニフォームにもとことんこだわっている。すなわち、病院でアートをしているというわけなんですね。

「日本の医療を輸出産業に」という理念は、どういった発想から生まれたものなのですか?

まず、日本の医療の総従事者数は実に300万人を超えていますし、総医療費、すなわち医療の総売り上げも35兆円を超えています。これはもう立派な巨大産業です。自動車製造業の従事者総数が下請まであわせて80万人、総生産額が40兆円程度であることを考えればその巨大さが分かりますよね。それなのに自動車産業は日本の経済を牽引する優等生として賞賛を集め、一方の医療は経済の足を引っ張るお荷物、と叩かれ続けている。これはなぜか。答えは簡単です。自動車産業が輸出産業なのに対し、医療は輸入産業だから。

今の日本は、薬にしろ、医療消耗品、器械にしろ、ほとんど海外から輸入しています。つまり医療にお金を投じれば、国の富が海外に流れます。反対に自動車産業は投資すればするほど、外貨を稼いでくれる。患者の流れをみても、日本人がアメリカに行って臓器移植やスポーツに関連する手術を受けたりして多額のお金を落としているのに、海外から日本に治療を受けに来る患者さんはほとんどいない。即ち物の流れにおいても人の流れにおいても日本の医療は圧倒的に輸入超過なんです。よく日本の総医療費は対GDP比率ではOECD諸国の中でも低いほうだ、だから医療にもっとお金を掛けるべきだ、などといった議論がなされますが、本質的なことがまるでわかっていない。アメリカのように医療を輸出産業としている国なら医療にいくら投資しようと結果として国が潤いますが、日本のように輸入超過なら医療にお金を掛ければ掛けるほど国が貧しくなる。この上、安月給で働き手がいないからと、政府や医師会の言いなりに、不足しがちな介護要員をフィリピンやインドネシアに求めるなら、それは労働力の輸入になるわけで、ますます医療の輸入産業化に拍車がかかり日本の医療は壊滅します。

たとえ医療とはいえ、経済社会にあっては質が高いとか低いとか観念的な議論を繰り返す前に、それが売り物になるのかならないのか現実を見据えなければ存続することは出来ない。だから私は、この20年間日本の医療の自由化、輸出産業化を訴え続けているし、そのための方法は、実はたくさんあるんですよ。

例えば、MRIやCT。日本の保有台数は、アメリカの1.5倍、また全ヨーロッパの合計よりも多くの装置を保有しています。で、これらの装置は一体どこで作られているのか。そもそもMRI、CTを作れる会社は、世界で6社、フィリップス、GE、シーメンス、東芝、日立、島津製作所の6社だけですが、実に半分が日本の会社です。即ち日本のメーカーは世界的に見ても高い技術を持っているわけですが、今や日本で使われているMRIとCTのほとんどは、外国製なんです。

厚労省が撮影に関わる保険診療点数を引き下げ続けたため、病院はこれらの高額機器を買い叩くようになり、メーカーがコストを回収できなくなって開発、製造から撤退しつつある。その結果、CT・MRIの多くが外国製となり、それに使われる医療費は、外国に流れていくことになった。しかも、出来高払いの診療報酬体系の中で撮れば撮った分だけ収入になりますから、病院では安易にMRIやCTを撮る習慣が定着してしまっています。少子高齢化が進む中、国民皆保険を守らんがために保険診療点数の引き下げを行った、その結果、なけなしの医療・社会保障財源を外国企業にどんどん奪われる構図が出来してきたわけですから、やはりここはきちんと考え直さなければいけない。それでは、どうすればいいのか。ICカードを保険証に用いた「エレクトリカル・メディカル・レコード;EMR」システムを構築すればいい。医療機関が保険診療をするときには、画像情報とラボ・データ、そして診断名をこのカードに入力するよう義務付け、それに基づいて診療報酬を支払うことにする。そうすると何がおこるか。医療者がこういうことを言わなければならないのは本当は残念なんですが、おそらく医療費が激減するんですね。なぜなら、このシステムによって誤診の記録が残ることになり、自信のない医者は怖くて検査ができなくなるから。例えば、頭痛を訴えて受診した患者にCTを施行する。僅かなくも膜下出血を見落とし、風邪の診断で帰宅させたところ3日後に亡くなってしまった。それで別の病院にICカードを見てもらったら、誤診の事実が判明した、きっとそんなケースが増えるでしょう。そうすると、医者は自分自身、若しくは自院で完全に結果を判読できない検査は避けざるを得なくなる。

すなわちICカードを用いたEMRシステムを導入するだけで、質の悪い医療機関は淘汰される。医師会は反対するかもしれませんが、誤診が減るだけだから患者も良質な医療機関も全然困らない。腕はいいが設備を持たない開業医の場合、カードリーダーさえあれば他院のデータを元に治療を行えるわけだから、むしろ新システムの導入を歓迎することでしょう。そして何より余計なMRI、CTが売れなくなる分、医療の輸入産業化に歯止めがかかるし、カードシステムに関しては日本は最先端を走っていますから、これを導入することによって医療が構造的に内需産業にシフトする。無駄な医療費が節減できるのみならず、海外に流れることもなくなり、低価格、高品質の医療が提供できるようになる。そして医療が次第に輸出産業へと構造転換していくならば、大胆な投資によって医療立国が可能になり雇用も生まれる。戦略さえ誤らなければ医療の未来は明るい、私はそう確信しています。