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シリーズ「意見・異見・偉見」

第2章 国民皆保険制度は幻想だ

先生は著書の中で、日本の医療の問題点が「国民皆保険制度」にあると述べています。なぜ国民皆保険制度が問題になるのでしょうか。教えてください。

それは国民皆保険が、今の日本においては原理的に存続できるはずのないシステムだからです。にも関わらず、それを理解しない政府、医師会、マスコミ、さらには国民がこのシステムを存続させようとあがき、その結果多くの矛盾や弊害が生まれている。

そもそも日本の皆保険制度は、日本人ではなくてGHQの発案によるものであり、あくまでも発展途上国向きのシステムです。戦後の日本はアメリカ軍が進駐して来た時、疲弊しきっていて発展途上国ですらなかった。国民一人当たりのGDPがアジアでは発展前のマレーシア、アフリカではジンバブエと同じ水準だったといいますから、それは大変な状況です。その後日本が100倍近い経済の伸びを記録したのに対し、マレーシアは30倍、ジンバブエは2倍程度にしか伸びなかったために今でこそ差がつきましたが当時の日本は本当に世界の最貧国に近かった。そんな日本に医療を普及させるためにはどうしたらいいか、GHQが知恵を絞った結果考案されたのが日本型皆保険制度なんです。

まず最初に理解して頂きたいのは、日本型の皆保険が存続するためには3つの条件が必要だということです。第1に「人口構成がピラミッド型であること」、第2に「経済が右肩上がりであること」、そして第3に「病気になる人が少ないこと」、この3つです。第二次世界大戦後の日本は、まさにこの3つの条件を満たしていました。ベビーブームで子どもが増え、朝鮮特需で経済は急速な復興を見せ、そしてなにより体の弱い人は戦争中に死に絶えてしまっていたため、皆丈夫で病気になる人がいない。そんな状況下、国民全員が歯を食いしばって働いたからこそ日本は復興したし、医療も普及させることが出来たんです。

然るに今はどうでしょう? 少子高齢化で人口構成は逆ピラミッド型を描き、経済は右肩下がり、高齢者が増えたから病気になる人も多い、とまったく反対の状況ですよね。こんな状況で国民皆保険制度を続けていけば何が起こるか、答えは明白です。このシステムでは現役世代の若い人が医療財源の全てを担っているわけですから、少子高齢化が進むにつれてその負担が増える。純粋に制度を変えずにいたら、おそらく10年後の社会負担率は70%にのぼると言われています。つまり30万の給料をもらったら、手元には9万円しか残らない。こうなったら、若者は到底やっていけません。

日本の国民皆保険は世界に冠たるシステムであり、欧米にさえこんないいものはない。多くの国民がこれを鵜呑みにしていますが、政府や日本医師会、マスコミが主張する妄想に過ぎません。その証拠に、WHOの世界保険機能総評価の中で、最近の日本はベスト10に入ることすらできていない。1位はフランス、5位はシンガポールです。世界に誇る国民皆保険? 世界中で誰もそんなことは言っていない。少ない医療費の中で日本人が長寿を誇っているのは優れた皆保険システムのお陰だなどという人もいますが、勘違いしてはいけません。日本人はそもそも人種的に長生きの傾向があり、生活環境に恵まれているだけ。その証拠に皆保険制度の恩恵に浴していないハワイの日系人、それどころかコーカサス地方の遊牧民だってちゃんと長生きしている。そりゃ、欧米には国民皆保険はないでしょう。第二次世界大戦時に先進国だった国は将来の少子高齢化が見えていましたから、このシステムを導入するはずがない。今こそ、日本型の国民皆保険制度は、あくまで発展途上国に医療を普及させるためのものであって、少子高齢化が進む先進国においては維持できるはずがない代物なのだ、ということを国民全員がしっかり認識しなければなりません。

話は変わりますが、小泉首相以降、国民皆保険は将来的に行き詰まる、というわけで、消費税率を上げて上昇分を医療目的税にしようなどというおかしな議論が出てきました。現野田総理の社会保障と税の一体改革の中でもこの議論は踏襲されていますが、まったくもってあり得ない話です。なぜあり得ないか。それは日本の国民皆保険制度が、厳密に言うと保険ではなく、それそのものが定義上は目的税だからです。

生命保険で考えればわかりますが、保険は定義上大勢の人がお金を出し合って、困っている人を助ける、あるいは困ったときに助けてもらうことを目的としています。だから、その支払い能力を担保するため、保険会社には一定水準の内部留保や、厳格な運用基準が義務付けられており、これを守っていなかったら、保険の認可は取り下げられてしまいます。

国民皆保険の場合はどうでしょうか。若い現役世代が払った保険料は、その年の内にお年寄りに使われてしまって、どこにも留保されていません。ということは、今年お金を払った若い人が、将来病気になったときに医療費の補填を受けられる保証は全くない、ということです。国民皆保険制度を存続させるためには、次世代の人達が確実に保険料を払ってくれることが必要不可欠であり、その前提が少子化問題で崩れた今、年金同様、皆保険もまた保険料を支払ったところで必ずしも将来の見返りが期待できないものになってしまっている、それが果たして保険と言えるでしょうか。

さらに保険においては、給付と反対給付がイコールであるのが原則です。例えば自動車保険の場合、1憶円の対人賠償をかけようとするなら、全員平等に1万5000円の保険料を支払わなければなりません。あなたはお金持ちだから5万円払ってください、あなたは余裕がないから1万円で結構です、なんて保険会社は存在しないでしょう。ところが例えば国民健康保険は、収入によって徴収される保険料に差がありますよね。つまり、給付と反対給付がイコールではないんです。

「内部留保」と「給付・反対給付の均等」、これら保険に必要な条件を満たしていない皆保険は、定義上保険とは言えません。では何か。答えは単純、目的税です。お金がある人が多く出して、使われてしまうから戻ってこない。これは医療を目的とした税金です。その証拠に、法的にも「国民健康保険料」ではなくて「保険税」という言葉が使われている。GHQも政府も、少なくとも導入時にはこのシステムの問題点を認識していたのではないかと私は考えています。で、将来このシステムが少子高齢化によって崩壊するとき、税であれば徴税システム、即ち国家経済の崩壊に繋がりかねないが、保険、年金と呼び習わしておくなら崩壊するのは医療や社会保障だけに留まる、とね。勘ぐりすぎかもしれませんが、私は、これは壮大な詐欺なのではないか、と思う。

今の政治家や官僚、医師会、マスコミはきっとこういったことを認識していないんでしょうね。だから消費税を医療目的税にするだなんて、わけのわからない話が出てくるんです。医療目的で、国民健康保険税と消費税が徴収されるのであれば、これは加算税となりますから、法的に考えておかしい。最終的には運営コストを考えても「ひとつの税金にまとめよう」、ということになるはずなんです。でもそうなったらそれは単なる北欧型の高福祉高負担でしかない。とすると政府や医師会、マスコミが一所懸命喧伝していた"世界に冠たる皆保険"はいったいどこに行ってしまったのか。おかしな話です。

本筋から外れますが医療目的税としての消費税の値上げについては他にも大きな問題があります。消費税は本来回りまわって最終的には消費者が負担するべきものですが、医療においてはそうなっていない。病院は運営に必要な土地建物から器械設備、院内で使用される消耗品、医薬品など全ての購入に際して消費税を支払っていますが、それを消費者、即ち患者さんに転嫁できない。医療費には消費税がかからないからです。消費税は、唯一医療機関にとってのみ損税となっているわけです。そもそも医療費に消費税がかからないことについては、患者の受診抑制を恐れた医師会が課税に反対したからであり、医療機関側にも問題があるわけですが、病院の8割が赤字とも言われる今日、消費税が10%に引き上げられれば、ほとんどの病院が潰れかねません。私は、医療崩壊を食いためるため、というならば、医療目的税として消費税を引き上げる前に、医療費にも消費税を課税する法改正を先行させるべきと思います。ひとつには予めそうしておかなければ病院が税率アップに耐えられないからですが、本当は消費税負担を患者さんに転嫁できるだけで病院経営が改善する可能性があるからです。特に設備投資や高度医療に注力している優良な病院ほど診療原価がかかっているので、その恩恵に浴しますしね。もしも医療費に消費税を掛けただけで病院が潤い、消費税率の引き上げがいらなくなるなら、一般的に受信機会の少ない若い人にも大きなメリットがあるはずです。でも、この案はきっと医師会の反対もあって受け入れられないでしょうね。開業医にとって、医療費への消費税課税は確かに、クリニック通いを日課にしているような患者さんのクリニック離れを招く危険がありますし、第一彼らは薬は院外処方にしているし、設備にもそれほどお金を掛けていないので、消費税率が上がったところで大きな痛手を受けない立場にありますから。

ここまで、日本の国民皆保険はあくまでも低開発国に医療を導入するための制度であって、少子高齢化が進む環境下ではそれを維持することは困難であること、について説明してきましたが、それでも皆保険が例えばセーフティー・ネットとして欠かすことのできない重要な働きをしている、というならばなんとしてでもその存続を図らねば、ということもあるでしょう。しかし、実は皆保険は今やその存在そのものが大きな弊害をもたらしており、百害あって一利なしともいえる存在になってしまっているのです。第1の弊害は先述したように、少子高齢化に対応するための医療費の抑制によって、医療機器製造メーカーを壊滅に追い込んだこと。その結果、日本は全ての医療機器や消耗品、医薬品を相手の言うなりの値段で買わされる状況に陥ってきており、いつかきっとそれらの経費の上昇により、自らの力では総医療費をコントロールできなくなるでしょう。医療費を抑制したために周辺産業が壊滅し、その結果医療費の高騰を抑えられなくなるとは、なんと馬鹿げたことでしょう。第2の弊害は、皆保険が存在するために個々の病院の治療成績を開示できないことです。例えば様々な癌の5年生存率ひとつとっても病院によって大きく異なります。しかしその事実が国民には知らされていません。フリーアクセスを原則とする国民皆保険制度の下では、治療成績の差が知られれば、もっとも信頼できる病院にのみ患者が殺到し、医療供給体制が崩壊しかねないからです。国民皆保険を堅持せんがために、国民の命が危険にさらされるなんて、おかしな話だと思いませんか。第3の弊害は、いわゆるドラッグ・ラグの問題です。この薬はとてもよく効くが、先進国の中で日本だけがその使用を認めていない、といった話を皆さんも聞いたことがあるでしょう。国民は、これを許可手続きの煩雑さによると勘違いしていますが、実は違います。最近の新薬はゲノムの情報から開発されますが、その情報はほぼ全てアメリカに押さえられています。彼らは開発した新薬を例えば1錠数万円といった高価格で市場に出してきますが、こういった新薬を薬価収載すれば薬代で皆保険はたちどころに崩壊してしまいます。だからその使用を許可することが出来ないのです。皆保険を守るためによく効く新薬が使えないなんて、いったい何のための保険なのでしょう。

制度を維持するためには様々な困難があり、しかも制度そのものが現在においてはもはや百害あって一利なし、とするなら一刻も早くこの制度を捨て去るべき、と私は思います。


では今後、日本の医療はどこに向かっていくのでしょうか?

それは国民一人ひとりの決断にも関わってくることなので、現時点では誰も、こう、と決め付けることは出来ないでしょう。だからこそ、私はここ八王子で、国民皆保険制度が崩壊したときに医療がどうあるべきか、という姿を模索しているのです。人間は将来どうなるかわからない状況下では恐怖を感じ、思考停止してしまう。そして、今までうまく行っていたんだから、と現行のシステムにしがみつく。国民皆保険がいい例ですね。でも、もっと理想的なシステムが示されたら、きっと素直にそれを取り入れることができるでしょう。それで私は、これからのシステムはどうあるべきか、ひとつずつ形にして見せて行こうとしているわけですね。

例えば近い将来、これは十分ありえることですが、介護保険制度が崩壊したらどうするか。

私は今、独自の物忘れ共済制度を設立しようと考えています。具体的には、八王子市民に若い頃から加入して頂き、その掛け金でファームを経営するというのがこのシステムの骨格になります。組合員に対してはある年齢以上になった場合、またアルツハイマーを発症する可能性が高い人にはもっと若い時点でスクリーニングをかけ、発症の危険性が高ければ、ファームでアルツハイマーの発症を抑制するといわれる牧畜に関わってもらうなど、リハビリを導入していく。そうすると認知症の発症自体が予防できるし、万一発症したときにも、慣れた環境であれば適応できる場合も多いので、なんとか生産労働人口に留まってもらうことができる。共済システムは運営効率が高く、現物支給が可能、すなわち掛け金をお金の形で返す必要がないので、十分実現可能なシステムと考えて、現在経済産業省の援助化に制度設計を実施中です。こういった開発行為を通じて、八王子を未来の医療や社会保障システムのショールームに育てていく、そして日本のあるべき姿をきちんと主張していくことこそが、我々の仕事だと思っています。