大学を卒業したあと、旅行会社で仕事をしていました。東京都内をまわるツアーを企画したり、国内ツアーや海外ツアーの添乗員として、お客様のお世話をさせていただいていましたね。月に2回は必ず添乗の仕事があって、半年に1回ペースで海外ツアーに同行するんです。仕事では、オーストラリアやイギリスなどを訪れています。
私は大学の法学部を卒業後、法律事務所で数年働いた後、ステップアップを目指して不動産会社に転職しました。そこでは、主に契約書なんかのチェックを任されていたのですが、外国人のお客様が来店する機会もあり、英文契約の仕事にも携わっていたんです。契約書というのは法律にもとづいた書類なので、仕事をするためには法律の専門知識が必要なんですよ。それで、仕事をするうちに、法律英語をもっときちんと学びたいなという気持ちが膨らんできたんです。
在籍していたのは、法学部です。一時期は、弁護士や検察官、裁判官など、法律のプロフェッショナルを目指そうとも思っていましたが、それよりも英語を活かした仕事がしたいっていう気持ちが大きくなったんです。じつは、もともと英語が好きで、法学部に所属しつつも、それとは別に英語の勉強していました。旅行会社に入社したのも、英語を活かせるというのが一番の理由でした。
じつは、学生時代に1カ月ほど、交換留学生として海外に行ったことがあるんです。たった1カ月だけの滞在だったのにもかかわらず、すごく刺激を受けたんですよね。たとえば、海外で出会った人の視野の広さや自己アピールの強さ、自立した考え方とか。日本人にも、和を重んじるという良さはあるんですけど、それを重んじるばかりで周りを気にしすぎる人って多くないですか? その点、海外で出会った人たちは、すごく自分を大事にしていたし、周りに流されることがなかった。そういう人たちにたくさん出会って、自分の考え方がガラッと変わってしまったんです。
それ、すごくわかります。日本人って、協調性はあるけど、個性がない人が多いですよね。
そうなんですよ。“出る杭は打たれる”みたいな風潮がありますもんね。…と、まあ、そんな経験もありまして、「いつか海外で暮らしてみたい」って思うようになっていきました。ただ、親からは、「海外に行くなら、お金は自分で出しなさい」と言われていたので、働いて資金を貯めてから海外へ行こうと漠然と考えていたんです。
僕の初めての海外体験は、小学校のとき、家族で行ったハワイ旅行でした。英語がまったく話せないのに、現地の子どもといっしょになって、真っ黒になるまで外で遊んでいたらしいんですよね。その話を親から聞いたときに、言葉が通じなくても心は通じ合うんだなぁって感動しちゃって。それから海外に興味を持つようになったのかもしれません。
じつは2年前に一度、海外へ行こうと思った時期があったんです。そのときは家族と彼氏に反対されたため、あきらめたんですけどね。でも、その後もずっと、海外へ行きたいという気持ちが消えなくて。胸の中でふつふつと燃えたぎっていました。そうやって、後悔の気持ちを抱えながら過ごしていたのですが、2008年の8月ぐらいに、仕事の区切りがいい時期がきて、「退社するなら今かな」と。つき合っていた彼氏と別れたこともあり、自分を日本にとどまらせていたものがすべてクリアになったので、行くなら今だって決心しました。
まず、留学斡旋会社の戸を叩きました。こういう条件で行けるプランはないかと相談したら、ぴったりのプランを紹介してくれたんですよ。それで、その場で会社を辞めることを決めて、次の週には会社を辞めていました。
名前 | 手塚 直人さん |
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渡航先 | オーストラリア・シドニー |
渡航予定日 | 2009年1月10日 |
渡航スタイル | ワーキングホリデー |
将来の夢 | 英語の教師・航空会社勤務 |
趣味 | ボーリング |
名前 | 船岡 由起子さん |
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渡航先 | カナダ・バンクーバー |
渡航予定日 | 2008年11月30日 |
渡航スタイル | 語学留学 |
将来の夢 | 英語を活かした法律の仕事 |
趣味 | ゴルフ・スキー・お酒 |