そうですね。私はずっと「TYPE」という転職雑誌のキャリア大賞の審査員をやっているのですが、その雑誌では以前は毎年、25~40歳くらいまでのビジネスマンに「あなたは転職するならどの会社に行きたいですか?」というアンケートをとっていたんです。ちょうどITバブル、ドットコムバブルの前の時期は、ランキングの上位はすべて日本の企業でした。それが1999年くらいになって、ようやくIBMとかマイクロソフト、シティバンクといった外資系がぽつぽつと入ってきました。しかし、ドットコムバブルが崩壊したとたん、また日本の企業ばかりがランクイン。当時はやはり日本の若者はリスクをとらない。リスク回避型のキャリア選択をしていたようですね。
まず一番のインパクトは、夫(現在、エアバス・ジャパン株式会社の社長であるグレン・S・フクシマ氏)と日米学生会議で出会ったということですね。私の人生を変えた大きな転換期でした(笑)。その会議で感じたのは、日本とアメリカの参加者のスタンスがまったく違うということでした。日本サイドは「日の丸を背負って来ているからには、恥ずかしいことはできない!」という意識。だから選ばれた後は、毎週集まって本を読んで、勉強して。日本のチームとして、みんなで意見をまとめてから発言をしていたんです。ところがアメリカの学生たちは、みんな個人参加。ヒッチハイクで来たヒッピーの人とか、バックパッカーみたいな格好をした人とか、服装も思想もバラバラ。みんなそこで初めて会ったような人たちばかりなんです。「We Japanese!」という我々と、個人で来ているアメリカの学生たちの意見には、大きな差がありました。アメリカの学生たちも、「日本人は何で同じ意見なの?」ってびっくりしていました(笑)。
それから、海外では女性でもはっきりと自分の意見を持って話をしているということも印象的でしたね。私の時代は、まだまだ女性が先頭に立つという時代ではなかったので、とても新鮮に思えたんです。また、「自分の意見を主張することはいいことなんだ」というのも、海外に行って初めて気づいたことでした。今は違いますが、当時の日本は個人の意見より集団の意見を尊重するという風潮がありましたから。ある物事を聞いて、自分の考えやデータと照らし合わせて判断をして、そして相手にわかってもらえるように説明することのプロセスの重要性は、その会議で認識しましたね。
ええ。会議で夫と出会って、その翌年に夫が日本に留学している間に、次の日米学生会議の準備委員会を一緒にやることになって。そこで付き合うようになって、まあ「結婚しようか」と。夫は当時は大学教授になりたいという希望を持っていました。当時のアメリカは、夫が大学院に進んだ場合は妻が経済的にサポートするというのが一般的だったので、私もそうしようと思ったのですが、何せ私にはビジネスの経験もないし、英語もろくに話せない。どうしようか、と思っていたら、仕事で知り合った大学の先生が「だったら日本語を教えたらどうですか?」と、ICUの日本語教授法のプログラムを教えてくださったんです。それがきっかけで、日本語教授法の勉強を始めることになったんですよ。
ICUでは小出先生という日本語教授法の開祖のような方に師事しておりまして、いざ夫がハーバードの大学院に進んで博士号を取得することが決まったという時に、ごあいさつに伺ったんです。そしたらちょうどその日の朝に、先生の教え子でハーバードの講師をされている方から「日本語の講師を探しているけど誰かいないか」という連絡があったらしくて。「あなた行く?」と言われて「行きます!」と即答。ちょっと運命的でしたね。
ハーバード大学の東アジア言語文化学科というところで日本語を教え始めたときには、私は「日本語教師は私の天職だ!」と思っていたんですよ。それで夫もテニュア(終身雇用)教授になるまではいろいろな地方の大学を渡り歩くだろうし、州立大学で日本語を教えるにはアメリカの修士課程が必要だったので、教え始めて2年後に自分自身も教育学修士を取りに大学院に行くことにしたんです。昼は大学院で勉強をして、夜は大学の社会人クラスで日本語を教える生活でした。昼も夜も生徒たちとは仲良くなりました。当時は「私は一生日本語を教えていこう!」と思っていたんですけど(笑)、あるとき、教え子のひとりが「知人が働いているコンサルティング会社で、日本語ができる人を探しているのだけど、どう?」と声をかけてくれたんです。
私は親も学者の家庭で、これまでビジネスの経験もなかったので、「え?ビジネス?」と思ったんですが……。「やってみないとわからないじゃない。咲江ならできるよ」という夫の無責任な(?)励ましに乗せられてしまったんですよね(笑)。でもやってみたら、ビジネスがものすごく面白くて。それで一番手っ取り早くビジネスのことを勉強できるのは何か、と考えて、スタンフォード大学のビジネス・スクールでMBAを取得しました。
はっきり結果が出るということが楽しかったんです。私がずっといた学問の世界では、どういう先生につくか、その先生がかわいがってくださるかどうかというものが、評価に関わってくる。ところがビジネスの世界では、はっきり数字で結果が出ますよね。売れるか、売れないか。それがとても面白く思えました。
それからコンサルティングには、学問の世界同様に仮説をたてて、そこから検証していくという楽しさもありましたね。資料集めにしても、私は学問の世界のように、これまで時系列でもれなく集めるということが重要だと思っていたんです。ところが上の人間からは「使えないものをたくさん集めても意味がない」と言われる。ビジネスのシーンでは、ある程度仮説があって、それを検証できるものを集めるということが大事なんですよね。やってみたら「あ、こんなに簡単でいいんだ」と。私にはそれが新鮮だったんです。
いえいえ。アメリカに行ってすぐのときには、電話にも出られなかったくらいでしたよ。特に私が受け持っていた日本語のクラスは、直接教授法といって英語を使わないで教えるクラスだったので、学校ではほとんど日本語。夫もその周りの人たちも日本語ができるので、私もほとんど英語を使う必要がなくて。
ですからハーバードの大学院に行ったときは苦労しました。というのも、言葉は理解できても、発言ができないんですよね。授業で「こういうことを言いたい」と思っても、一生懸命文章を考えているうちに、次のトピックに行ってしまう。しょうがないので、大学院の教授の部屋に行って「全然考えていないわけじゃないんです!」というのを訥々と訴えました。言いに行かないと何も考えていないと思われて成績が悪くなるし、落第したら大変だと思ったんですよ。それで、こういうことを考えているという文章を書いて、教授に渡して……。 先生方も熱心で、頑張ったので単位はもらえましたが、ま、努力賞ですよね(笑)。
国内外のビジネス・パーソンを熟知するフクシマ会長ならではの人材論は、一読の価値あり。近著「人財革命」では、一流の人材になるための条件や意識の持ち方を、わかりやすい言葉で伝えてくれています。「新入社員でも『社長の目』を持って考える」「社内の昇進よりも、顧客の満足や外部の評価を『目標』にする」など、一流のビジネス・パーソンになるためのヒントが満載されており、学生にもおすすめの一冊です。