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先輩メッセージ / Message06:株式会社 静山社 松岡佑子社長

『ハリー・ポッター』は子供から大人まで、いろんな年齢層が読む本ですよね。翻訳する際には、子供に対する目線合わせも考慮に入れたのでしょうか?

それは最初に迷ったことなんです。でも結局は、自分の言葉でしか書けないということがわかりましたし、それで良かったと思っています。子供たちは、分からないことがあれば飛ばして読むし、わからないなりに読み進めますから。それで10年後に読み返してもらえば、また別な読み方ができますしね。この物語にハマったという子供にたくさん会いましたけど、子供たちは大人よりも利口ですよ。大人になるにしたがって、理解力が落ちるんじゃないかしら。

翻訳前には、作者であるJ.K.ローリングにも会われたそうですね。

はい。1998年の末に版権を取って、99年の5月にロンドンで会いました。翻訳者として著者に会って話を聞かないことには、内容の感覚がつかみにくいということで、代理人にお願いして、アポを取り付けたんです。ホテルの喫茶室で待ち合わせをしましてね、彼女もひとりで気軽に来ましたよ。それで登場人物のこととか、彼女自身の苦労話についてなど、2時間くらいお話をしたんです。最初はおとなしい人かと思っていたんですが、会ってみたら非常にお茶目で、ユーモアのセンスがあって。頭の良い女性でしたね。

作者に会うことで、翻訳の心構えも違ってくるんでしょうか?

それはもう。会ってみないとわからないことって、たくさんあるんですよ。だから普通、翻訳者は作者と密に連絡を取りながら、その作者の心を伝えるべく翻訳をするんですけどね。でも、もう今では『ハリー・ポッター』には60人以上の翻訳者がいて、直接J.K.ローリングとやりとりをすることはできないようですね。『ハリー・ポッター』シリーズの翻訳者の中で、J.K.ローリングに会ったことがあるのはたった2人だけ。1人はドイツの翻訳者で、あとは私だけなんですよ。

そうやって苦心しながら翻訳をされた本ですが。静山社はとても小さな会社ということで、販売もご自身で担当しなくてはいけなかったんですよね?

そうなんです。一応、松岡幸雄が本を作るのは見ていたのですが、売るのは見ていなかったもので、わからないことだらけでしたよ。それで松岡の知り合いや、ALS協会で知り合ったジャーナリストなど出版業に携わっている方に、どうすればいいのかを聞いて回って。そうしているうちに、現在、ブックストラテジーサービスの社長をされている豊田哲さんにお会いしたんです。豊田さんは、大手の出版社を病気で退職して、小さな出版社を助ける仕事をされていました。きっと私があまりに何も知らないので、かわいそうに思ったんでしょう。「助けてあげましょう」と言ってくださったんです。そうして豊田さんに教えられて、各地の書店を営業して回り、「本ができたら持っていらっしゃい」と言ってくれる書店も増えていったんです。ただ「売れるとは限らないから、がっかりしないように」とばかり言われましたけどね。本当にいろんな方に助けられましたよ。

初版は何部刷ったんですか?

豊田さんは「2万7千部で行きましょう」とおっしゃったんですが、私が「2万7千部ってキリが悪いから3万部で行きましょう」と言いました。もう、清水の舞台から飛び降りる気持ちでしたよ。出版界で3千部の違いというのは、本当に大きいんですよ。松岡幸雄が生前、「3千部刷って、1千部売れればいい」と言っていたくらいですから。

でも当時、私はマンションの1室に1人で住んでいて、愛犬も死んだばかりで、場所もありましたからね。もし本が戻ってきても、部屋に積んでおけばいいじゃないかと(笑)。それで「3万部で行きましょう」と強気で言ったわけなんです。そうしたら結局、1ヶ月で23万部売れましたけどね。

松岡さんの中には、売れるという確信があったんですか?

ないですよ。アメリカやイギリスでは爆発的に売れていましたが、かといって日本で同じように売れるわけではないということはよくわかっていましたし。でも『ハリー・ポッター』は誰が読んでも面白い本ですし、もし売れないのであれば、これは翻訳者の責任だと思ったんです。だから翻訳には全精力を注ぎました。

それから売れないと困りますから、書店に置く販促用のPOPまで、自分で書いていたんですよ。本に付ける冊子『ふくろう通信』も、すべて自分でデザインして。マンションの一室で、手伝ってくれる女の子とふたり、毎日徹夜しながら作ったんですよ。

そんな過酷な状態で、一体何が松岡さんの心を支えていたんですか?

一言でいえば、責任感ですね。「この本が売れなかったら、その責任は全部私にある」という思いです。「売れたらいいな」という甘っちょろい希望ではなく、売れなかったら申し訳ないという気持ちですよ。版権をくれたJ.K.ローリングにも申し訳ないし、手伝ってくれた方々にも申し訳ない。もし1巻が売れなかったら2巻を出すお金もないし、印刷費もない。先ほども言いましたが、背水の陣なんですよ。だからその時の口癖は「もし失敗したら、尼寺に行く」(笑)。

結果的に1巻は、爆発的なヒットを記録しました。さぞ嬉しかったんじゃないですか?

はい。とにかく嬉しかったですね。失敗したら自分の責任だと思っていましたから、まずは肩の荷が下りたという感覚で。それからもちろん、亡くなった主人の果たせなかった夢……「一度でいいから本を書店に平積みにしてみたい」という、その夢を叶えることができたのは、本当に嬉しかった。

昨年には日本でも7巻が発売されて、シリーズもようやく完結しました。すでに21世紀の名作と謳われている『ハリー・ポッター』シリーズですが、子供たちにとってどういう存在になってほしいと思いますか?

この本が読書の楽しみを知る、最初の玄関口になってくれると嬉しいですね。実際に『ハリー・ポッター』を出版してから「今まで本を読んだら頭が痛くなると言っていた子供が、初めて読破しました!」というような御礼状をたくさんいただいたんですよ。本を好きになるとっかかり口として、ハリーが役に立ってくれたらいいなと思います。子供のうちに本が好きになれば、大人になっても本を読むようになりますし、本を読まなければ、人間の頭は練られませんからね。

海外生活を志望する若者の中には、通訳・翻訳を目指している人も多くおります。そういった若者に、何かアドバイスをいただけますか?

まずは、日本語と日本の文化の良さを、もっと勉強してほしいですね。外国に飛び出す前に、日本の良さをもっと味わうべきですよ。人間、基礎がしっかりしていないと、異なったものを吸収できません。根なし草にならないように、日本文化をしっかり学んでほしいですね。

では最後に。松岡先生と『ハリー・ポッター』との出会いは、非常に大きなものですよね。しかしながら、「出会い」は結果を残さなければ、「出会い」とは呼べないと思うんです。松岡さん自身、「出会い」をモノにするために、心がけていたことはあるのでしょうか?

私が出会いをモノにできたのは、あのときの状況が大きかったと思います。あの頃は、常に出版したい本を探し求めていましたから。求める心を持っていなければ、何も見つかりはしないんですよ。だからと言って、急に求める心を持ちなさいと言っても、それは無理なことかもしれませんが……。でも常に真剣に考えていれば、きっと見えてくるものがあるはずですよ。

じゃあどうすれば、物事を真剣に考えられるか。それには本を読まないといけません。日本人の悪い点として「人に踊らされやすい」ということが挙げられますが、本を読んで常に頭を働かせていれば、自分がどういう理由で、何がしたいのか、きちんと考えられるはず。常に考えるというところから、求める心も生まれてくると思います。

インタビュアー:株式会社エストレリータ代表取締役社長:鈴木信之

ライター:室井瞳子

PHOTO:堀 修平