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先輩メッセージ / Message06:株式会社 静山社 松岡佑子社長

では、なぜ継ごうと思われんですか?

そうですよねぇ。それはやっぱり、松岡幸雄が一生懸命に本を作っていたからでしょうね。彼は本当に本を作ることが好きだったんです。今と違ってコンピューターなんてないですから、手書きでレイアウトをして、校正も自分でして、責了の翌朝は徹夜で目を真っ赤にして帰って来て。本ができると「ああ、できた」って嬉しがって、撫でさすって。まぁ、売れもしない本ですけどね(笑)。それを私がリュックサックに入れて本屋さんに売りに行ったりして。そうまでして彼が追いかけた夢を、「本人が死んじゃったから、じゃ、やめましょう」というのは、あまりにかわいそうじゃないですか。それに私自身、本が好きでしたからね。継げるのであれば、継いでみようと思ったんです。怖いもの知らずだったんですよ。

そこからハリー・ポッターに出会うまでには、まだ時間があると思うのですが。最初はどんな仕事をされていたんですか?

その間も通訳は続けていました。生活費を稼がないといけませんからね。ただ、彼が残した企画書を見たり、人脈をたどって訪ねたりして、どんな本を出したらいいかをずっと探り続けてはいましたね。実際にALSの患者さんの手記を出版したり、会議通訳の経験で貯めた知識から「国際会議用語辞典」を出版したりもしたんですよ。そして次にはどんな本を出版しようかと企画を立てている中で、『ハリー・ポッター』と出会ったんです。

それはどういう出会いだったんですか?

長年の友人で、ダンとアリソンという夫婦がロンドンに住んでいまして。弁護士だったダンが絵描きに転向したと聞いて、久しぶりに会いたくなって、通訳の仕事のついでに訪ねたんです。それで、「何かいい本はないかしらね」と相談を持ちかけたら、ダンが一冊の本を本棚から取り出して。「今イギリスで一番話題になっている本だから、この本で版権が取れたらすごいことになるよ」と教えてくれたんです。それが『ハリー・ポッター』だったんですよね。さっそく読み始めたら夢中になってしまってね。一晩で読んでしまいましたよ。

それで版権を取ろうと決意されたんですね。

はい。出版社に電話して、J.K.ローリングの代理人の連絡先を教えてもらって、すぐに電話をかけたんです。

その頃には、大手の出版社がすでにアプローチをしていたと聞いています。

そうみたいですね。でも静山社より小さい出版社ははないはずで、どんなところだって私の会社に比べたら大手ですから、そこは気にしませんでした。

そこをもう少し伺いたいですのですが。というのも、セミナーを開きますと、若い子から「やりたいことがあっても足がすくんでしまう」という相談を受けることが非常に多いんですよ。松岡さんがあきらめることなく行動できたのは、一体なぜだったんでしょうか?

誰だって、経験のないこと、新しいことに挑戦するのは怖いですよ。現状維持が一番楽です。一歩踏み込むというのは、誰でも躊躇することですね。でも、何かをしようと思うなら、一歩踏み込まなくてはいけません。それに私の場合は、完全なる背水の陣。 どうしても出版する本が欲しい。しかも、その本には惚れ込んでいる……。ダメでもともと、じゃないですけど、とにかくやらなきゃ何も始まらないでしょう?

でも今考えてみると、何も知らないで始めたことの勇気よりも、よくも10年間会社を続けたもんだと、そっちの勇気をほめてやりたいくらいなんですよ。最初は何も知らないですから、情熱にまかせて、突っ込んでいけばいいわけです。でも第一巻が成功してからの10年の方がむしろ大変で。日本は出る杭が打たれる社会ですからね。

いわれのない中傷もあった?

ええ。よく持ちこたえたな、と思います。

その10年間の中で、一番辛いと感じたのは何だったんですか?

『ハリー・ポッター』は、巻を追うごとに本がだんだん厚くなっていきますから、翻訳作業がなかなか終わらないのがつらかったですね。第1巻でさえ「こんなに厚い本を、子どもは読みませんよ」と言われていたのに、2巻、3巻とどんどん厚くなるんですから。翻訳しても、翻訳しても終わらない。それなのに、いい本を出してほしいという周囲の期待は高まっていきますし、自分自身に対する期待も大きくなる。10年間、よくそれに耐えられたなと思います。

それまで松岡さんは、通訳であって、翻訳家ではなかったんですよね。翻訳と通訳とでは、やはり違いを感じましたか?

翻訳と通訳は、向き不向きの性格がまったく違いますね。翻訳家は、どちらかと言うと、内にこもって長期的に文章を練ることが好きなタイプ。通訳は、瞬発力があって、人に会うことが好きなタイプ。根本的に性質が違うんですよ。それから日本語の文章力にしても、通訳の場合は、その場で即座に切り取るのが得意でなければなりませんが、翻訳家は推敲しないといけない。どっちかというと翻訳は学者肌ですね。

ただ、どちらにも共通しているのは、日本語ができないといけないということ。結構、そこを勘違いしている人が多いんです。帰国子女で英語ができれば、翻訳・通訳もできるだろうと。こういう人たちは通訳科に入ってきて、たちまち自信をなくすんですよ。いかに日本語が難しいかということがわかってね。

では、翻訳作業というのは、実際にどうやって進めていくものなんですか?

基本的には1人で部屋にこもってやりますよ。ただ1人よがりになってはいけないので、最初は、自分の訳を10人くらいに読んでもらっていました。大学の後輩や編集者、それからモントレーで知り合ったジェリー・ハーコートという翻訳家に徹底的に読んでもらい、間違いがないかどうかをチェックしてもらって。それで「なるほど」と思えばやり直しますし、「イヤ、これは違う」と思うものは譲りませんし(笑)。最終的には私1人で責任を持ってやりましたよ。

原文を読んでいる時点で、頭に日本語が浮かんでくるんですか?

はい。ひとつの言葉、ひとつの文章、または全体の文章に対して、5つか6つの訳語がバーっと浮かんでくるんですよ。言葉の選択肢は、むしろありすぎるくらい。もちろん、全然思い浮かばないということもありますよ。瞬時に思い浮かぶこともあれば、そうでないときもある。それは作家と同じですね。ある意味では、産みの苦しみと言えます。

思い入れのあるアイテム

仕事で海外を飛び回っているときに使う腕時計と目覚まし時計。腕時計は、日本と現地時間、2か所の時間を表示できるものを愛用しています。現在はスイスに拠点を置いているので、日本に帰ってくるのも2か月に1回程度。携帯電話も、海外で通じるものを使っています。