やはりスイス銀をリーグテーブルでトップにしたことができ達成感がきっかけでした。そんな中、いろんなところからヘッドハンティングやお誘いを受けて。その中のひとつが世界銀行だったんです。世界銀行ってお役所的なイメージが強かったので「なぜ僕なんですか?」と聞いたら、「総裁が投資銀行出身の人に代わって、アジア人で投資銀行出身の人を求めている」という話で。それで僕も心を決めたんです。
入行後は、アジアの国のリストラクチャリングとか銀行の再生とか、主にそんな業務を担当しまして。アジア危機のときに金融危機対応チームのメンバーに入り、ソウルオフィスの立ち上げにも関わり韓国には2年間滞在しました。その後、ワシントンに戻ってきたんですが、世銀で働く人は半分ぐらいが、いわゆる欧米大学の卒業生が大半。それで世銀を休職して、ハーバード大学行政大学院に通うことにしたんです。
僕の場合は、ある程度実務経験がありましたから。どちらかというと、自分の好きな勉強をしていいプログラムに入ったんです。国際関係論とか、ネゴシエーション、M&A、政治学などです。それからMIT(マサチューセッツ工科大学)とも姉妹校になっていたので、MITまで行ってベンチャーの授業をとったりと人生の中で、一番勉強をしました。
もともと子供のころにインプットされていたのもあると思いますが……でも徐々にですね。特に世銀では、鍛えられました。もう東海岸のエスタビリッシュされたアメリカ英語があるわけで、自分が書いた文書がものすごく添削されるんです。何度も何度も、メモとか書かれて、もうイヤって言うほど(笑)。左脳系の人がいるから、細かくてね。こんなの“the”でも“a”でもいいよって思うんですけど、“否、theだ”なんて言われて鍛えられました。でもこのころの経験は本当に良かったと思います。
共通試験を受けて、TOFEL受けて、エッセイ書いて、推薦状をいただいて……そんな感じです。仕事をしながら自宅で帰宅後準備しました。
すでにインターナショナルビジネスのマスタを取得していましたし、それなりにビジネス経験がありましたから、自分の欲しいものだけを取りに行くほうが、理にかなっていたんですよ。それで実務経験がある人向けの1年間のMPAコースを選択したんです。
世銀の休職は2年間できました。1年間の勉強が終わって、局長に相談したところ「まだ休職期間はあまっているんだろう?だったら現場を見たほうがいい」というアドバイスをいただきまして。その局長は、すごくリベラルな方で、外を見ないことには世銀でもいい仕事ができないという考えを持っていたんですね。「左脳が発達した人ばかりいる中で仕事をしても、経験にも勉強にもならない。それよりも外と深く接点を持つべきだ」。彼はいつも言っていて。それで僕も、休職中はいつでも戻れるし、一度日本に戻ってみようかと帰ってきたわけなんです。その当時で、もう7年間くらい日本を離れていましたから。
はい。そこに知り合いがいまして。いろいろお誘いもあったんですが、僕は当時、プライベートエクイティとかベンチャーキャピタルに興味を持っていたんです。そこの業務が近そうということで、デロイトを選んだんです。
会社の上司の影響もあり、新しいタスクをどんどん与えられました。当時は大変と感じた時期もありますが、今から思うと大変素晴らしい経験をさせて頂いたと思います。
楽観的な性格なのでいつも楽しまないといけないなと思っています。2003年には、産業再生機構に入ってカネボウ化粧品の再生を担当しましたけど、大株主として送りこまれるわけです。企業価値を高めるために行くわけですが、会社側の方は構える。要するに、会社を良くする、そのためにはいろいろと変えないといけないわけです。人間と言うのは、日本人に限らず、変化を苦手としています。我々が乗り込んでいく目的は変化を起こすことですから、そこにいる人達にとっては迷惑と感じると思います。そのような状況でピリッと張りつめた空気をヒシヒシと感じながら行くわけですから、それは複雑です。
だからそこはケースバイケース。そういう再生系の仕事で、ニコニコしながら乗り込むのは、やっぱりよくないと思います。会社は大変厳しい状態です。そうは行っても会社の個人個人にあまり責任はない。しかし株主から送りこまれる立場としては短時間で会社を変えないといけないから、現場の人にとっては想定できないような変化がいっぱい押し寄せるわけですよ。常に上の立場の人間がいろんな情報を下に出して、こういう風に考えているんだ、だからこうしないといけないんだと言いながら、行動を起こすことが大事なんだと学びました。そうすればギャップも埋まり、ピタっとくっつくでしょう。そして会社全員が共通した同じ目的に向かうことが重要だと思います。そうすれば意識も一体化して前例がないようなことも達成できると思います。
TOKYO AIMも始まったばかりで、あんまり考えられません。でも長い人生を考えればね、僕は日本というのは本当にすごくいいものがある島国だと思うんですが、いかんせん世界からどんどん距離が遠くなっていると感じているんです。それってすごくもったいない。だから僕は、そういう距離を少しでも縮ませられるような仕事をしていきたいと思いますね。そのひとつがTOKYO AIMです。
遅れているというか、今までは日本の経済に十分の規模があったんですよね。感覚的に言うと、30年くらい前では世界のGDPの2割くらいが日本のGDPだったんです。世界の総生産の2割をこの小さな島国、1億2千万人の国が支えていたわけです。その頃はアメリカが3~4割と言われていて、アメリカと日本だけで世界の半分以上のGDPを占めていたんです。昭和60年以降それがずっと続いていたのに、90年のバブル崩壊以降、日本のGDPはジワジワと下がって、日本の経済は実際には成長していないんです。
一方アメリカはこの期間も2%から3%で成長していて、かつ、BRICsと言われる国々(ブラジル、ロシア、インド、中国)はいい時代には2桁以上で成長している。今、日本がどういう立場でいるかと言うと、世界のGDPの1割を占めているくらい。そして今年は10%をきるんじゃないかと言われています。しかもこの不況の中、日本がマイナス何%という経済成長に対して、中国は6%、インドは5%と伸びているんです。中国とかインドは1人当たりのGDPは少ないけれど、10億人以上いるわけですから日本の相対的な立ち位置は明らかに不利だと思います。
国際ビジネスの観点で言うと、お金や物や人は、元気があるところや動きがあるところに集中します。そして現在、それは日本ではない。日本という国を市場として考えたときに、どうやったらいろんな人がもっと来てくれるか。そのために何をしないといけないかと言えば、それはやっぱりクリテイティブにならないといけないと思います。いい人がいれば、いい情報がついてくる。そしていい情報があれば、いい会社とか、いい商品とか、いい投資家がついてくるとおもいます。そういう好循環できるような仕組みが必要だと思いますね。
就職した頃に購入した、金融電卓です。利回り計算もできるし、簡単なプログラムもこの計算機で書けるんです。当時2万円ぐらいして、値段が高くてびっくりした覚えがあります。現場では、お客さんと電話で話しながら、スクリーンで為替の動きを見て、そしてこの計算機で計算をする。それが遅いとお客さんに逃げられてしまうんですよね。だから入社した当時は、朝から晩まで、金融電卓のトレーニングを受けていました。