VOICE

海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>株式会社TOKYO AIM取引所 村木徹太郎社長

先輩メッセージ / Message05:株式会社株式会社TOKYO AIM取引所 村木徹太郎社長

6月にスタートしたプロの投資家向けの新市場、「TOKYO AIM」の社長を務める村木徹太郎氏。国内外の金融業界を渡り歩いてきた村木社長に、金融業界の魅力や日本人ビジネスマンのウィークポイント、そしてこれから金融に必要な人材などについて、じっくりお話を伺いました。金融業界を目指す人必見です!

PROFILE

村木徹太郎(むらき てつたろう)

1965年、岐阜県生まれ。1989年、上智大学外国語学部比較文化学科卒業。1990年、同修士課程修了。1991年、スイス銀証券会社東京支店入社(現UBS証券)。1996年、世界銀行に入行。一時休職して、2001年にハーバード大学行政大学院にてMPA取得。その後、日本に帰国し、デロイトトーマツコンサルティング株式会社に入社。2002年、イデアキャピタル株式会社代表取締役パートナーに就任。2003年、株式会社産業再生機構に入社。2004年に株式会社カネボウ化粧品 取締役兼執行役 最高財務責任者(CFO)に就任し、再建を担当する。2007年、株式会社東京証券取引所に入社。2009年4月、TOKYO AIMの設立に伴い、社長に就任する。

6月からスタートした東証のプロ向け市場「TOKYO AIM」ですが、この構想はいつ頃からあったんですか?

構想自体は2007年からです。当時政府内で、プロ向けの金融市場を作ろうという動きがありました。しかし、そのためには「金融商品取引法」という法律を変える必要がありまして。昨年6月にようやく法律が改正されたので、それを受けて正式に取引所を設立するに至ったという流れです。

設立の目的を教えてください。

もともと東証グループは、1部、2部、それからマザーズと、3つの市場を持っていて、日本の現行制度の中で運営していました。しかしこれだけですと、海外の企業や海外の投資家、それから新しいことに挑戦したいという日本企業に対しては、とても間口が広いとは言えない状況だったんです。今回立ち上がったTOKYO AIMは、まさにそういった企業、もしくは投資家が参加できるような取引所を作りたいという目的から設立されたものなんです。

投資家をプロの機関投資家に限ったのはなぜですか?

まず前提として、「金融商品取引法」とは証券市場における取引上のルールを定めた法律なんですが、この法律は「いかに個人の投資家を保護できる仕組みを作っていくか」に重心を置いて作られていると思います。ところが個人に焦点を当てると、どうしても投資経験の高いプロも影響を受けてしまう。護送船団方式で一番弱い船に照準を合わせると、どうしても他の船にとって使いにくい部分が増えてしまう構造なんです。

世界中の投資家が日本に来ないことには、せっかく日本に素晴らしい会社があっても投資してもらえない。では、どうしたら世界の投資家たちを日本に引っ張ってこれるか。……そういう考えから、金商法が改正され、個人保護を目的にするのとはまったく違う制度がTOKYO AIMに導入されたわけです。たとえば情報開示は英語でもいい、会計基準も海外の基準でいい。これらの制度は、プロは経験があって、英語も堪能だという前提で成り立っています。しかしながらこういったプロのための制度を持つことによって、1部・2部、マザーズでは満たせなかったでニーズをTOKYO AIMが取り込むことができる。またそうすることで、東証グループ自体が世界で競争力のある取引所に変わっていくことができるんです。

それからもうひとつ、東証グループとしては今回初めて、海外の取引所であるロンドン証券取引所との合弁会社としてTOKYO AIMを作りました。東証が51%、ロンドン証券取引所が49%の株式を持っているわけですが、海外の取引所がこんなに株式を持つのは日本では初めてのことです。そのくらい金融庁も、日本市場の国際化をサポートしてくれています。

制度をゆるくしたことで、投資家にも多少のリスクを背負ってもらうということにはなるんでしょうか?

たとえば、開示される財務諸表がアメリカの基準でもいいという制度ですが、日本の会計基準であろうと、アメリカの会計基準であろうと、そのクオリティはほぼ同じなんですよ。だから日本の会計基準がアメリカの会計基準になるからといって、いきなりリスクが高くなるというのは正しくない。ただし、英語が読めない、アメリカの会計基準を知らないとなると、リスクは高くなりますよ。英語の会計基準をポンと渡されても、ちんぷんかんぷんになりますから。でもね、プロであれば、英語が読める、またアメリカの会計基準が分かるという投資家は比較的多いんです。

それからTOKYO AIMでは、四半期開示の義務もありません。現在、世界で四半期開示を使っているのは、アメリカと日本だけです。ヨーロッパや他のアジアは、だいたい半期と通期です。じゃあ、年に2回と4回とでクオリティに差があるのかと言えば、実は最後の監査は同じなんです。監査法人はすべてを見ますから、最終的なクオリティは同じです。ただ会社の区切りを4回にするか、2回にするか。その頻度が減るだけです。プロもそこは分かっているから、四半期開示がないからといってリスクになるとは考えていないと思います。一般的な印象として、TOKYO AIMはリスクが高いと思われがちなんですが、見る人が見れば、決してリスクが高いわけではないです。

いろんなところから言われていると思いますが、なぜ「100年に一度の金融危機」と言われている今のタイミングで設立しようと考えられたのですか?

そもそもこのプロジェクトがスタートしたのが2007年の秋。それから大きなスケジュールは変わっていないんです。予測不可能だったことなんですが、我々の描いていたスケジュールに金融危機が入ってしまった印象のほうが強いです。

確かに、いい時代のほうが上場企業もたくさん来るのかもしれません。でもむしろ今のように厳しい時代のほうが、資金を調達したい企業が多いはずですし、投資家もいい企業に慎重に投資したいと思っているはずなんです。だから僕は、逆にこういうタイミングでTOKYO AIMをスタートさせることにより、企業の資金調達のメリットも上がるし、投資家にとってのメリットも上がると思っています。結果論ですけど、実はベストタイミングだったと思うんですよね。ある意味、今は底ですよ。100年に一度の経済危機で、100年に一度の底からやっていく。もう我々には上しかないわけですから、こんないいチャンスは逆にないじゃないですか。

他の記事でも、村木社長のそういった前向きな発言が印象に残りました。

根っから前向きなタイプなので。性格的に寝ると忘れるタイプなんです(笑)

そういったポジティブな考え方に至るのに、何かきっかけはあったんですか?

性格ですね。比較的、周りに楽観的な人間が多くて、明るい家庭で育ったので。もちろん生きているので悩むこともありますけど、寝るとだいたい忘れて次の日が始まる。悩んで眠れないというのはほとんどありませんでした。まず悩んだら寝る(笑)。

ちょうど大学卒業も、バブル崩壊の時期ですよね。その金融危機の状況の中で、最初の就職先がスイス銀証券というのも前向きな考え方に思えます。

僕は小さい頃から数字が好きだったんです。もちろん就職するときに、コンサルとか商社とか、いろんな業種にお話を伺いに行ったのですが、最終的に自分で面白そうと感じたのが金融だったんです。それから子どものときに海外に住んだ経験もあったし、外資系のほうが世界を相手に仕事ができそうだと思ったので、外資系の金融機関に絞って。外資系なら、比較的若くても責任のある仕事をさせてもらえるんじゃないかなという、勝手な想像もありました。それで、たまたまスイス銀行が僕がやりたいと思っていた企業投資や投資銀行業務をさせてくれるというので決めました。

小さい頃の海外経験は親御さんの仕事の関係ですか?

はい。医者をしている父親の研究の関係で、小学校のときにアメリカに行っていたんです。ABCも言えないし、サンキューも言えないのに、いきなり公立の地元の学校に入れられまして。とんでもない親だと思いましたけど(笑)。でも家族で過ごした貴重な経験なので楽しかったことしか覚えていません。

語学もできなかったけれど、でもなんとかなりました。小学生でしたから。一緒にサッカーをやったりして、そこでそれなりに力を発揮すると、子供なりのリスペクトを得られるんです。たとえば、僕は九九では負けたことがなかったんです。そうすると、あいつはむちゃくちゃ算数ができる、そういう風に一目置かれる。するとしだいに遊ぼう、遊ぼうという誘いも増えてくる。会話はできないですけど、子供の肌感覚でそれがわかってくるんです。だからあんまり会話をしたという記憶はないんですけどね。2年間アメリカにいましたが、そんなに英語は話せなかったですね。

なるほど。子供のころに、海外に興味を持つ下地のようなものはできていたんですね。では、大人になってからの海外生活についてお話を伺わせてください。

はい。スイス銀証券に就職して、まずはロンドンに4カ月のトレーニングに行って。それから、チューリッヒの資本市場のジャパンデスクを任されたんです。そのときに僕が嬉しかったのが、前任者が僕の7歳くらい上だったということ。チューリッヒの金融村のジャパンデスクはみんな年齢が35歳くらい。その中で僕だけが20代だったので大変やりがいがありました。。

金融の世界って、結構ディールの規模で勝負をしているところがあって、どの銀行がいくらで引き受けただとか、いろいろ競争があるんですよね。それで僕も、若いからどうだとか文句を言われたくないから、結構頑張ったんですよ。そうしたらスイス銀が、当時のスイス・ユニオン銀行とクレディ・スイスを抜いて1位になったんです。1位になったのは久々の快挙だというので、僕も本当に嬉しかったんですよ。