はい。オーストラリアの市場調査会社に秘書として入社しました。オーストラリアの生活は、とっても楽しかった。それは、女性がみんな楽しそうに働いていたから。当時の日本は、まだまだ女性は男性の手伝いという印象が根強かったんです。男性中心の社会で、女性はキャリアなんてまったく望めなかったの。でもオーストラリアの会社には、女性のマネージャーやスーパーバイザー、経理部長もいた。女性が生き生きと働いていて、私の目にはそれが本当に新鮮に映りました。
でも、私がそこでバリバリ働いていたかというと、それはまた別の話なのよね(笑)。仕事では本当に失敗ばかりしていました。その頃はパソコンもワープロもない時代ですから、書類を作るときにはタイプライターで文章を打ち込むんです。私は英語に不慣れなもので、タイプミスばっかり。タイプライターは間違いが修正できないから、何回もやり直し。失敗した紙屑をばれないように、こっそり家に持ち帰ったりもしていましたよ(笑)。
それから派遣の仕事に出会ったのも、この頃ですね。同僚が休暇を取ったときに、まったく知らない人が彼女のデスクで代わりに働いていたんです。それで他の同僚に「あれは誰なの?」と尋ねたら「テンポラリースタッフ(派遣社員)よ」って。なんて便利なシステムなんだろうって、すっかり感心しましたね。その後、帰国することになった頃に小さな派遣会社の女性社長と知り合う機会があって、会社を見学させてもらったんです。ランチをごちそうになって、パンフレットを頂いて、どんな仕事かを教えてもらって、なんだか面白い仕事だなって思いました。ただ、これは単純な好奇心からですよ。派遣の仕事を日本でやろうなんて、このときはまったく思っていませんでした。
海外にいて実感したのですが、やはり日本人は日本人なんですよね。どうしたってオーストラリア人にとっては外国人でしかない。日本に帰って頑張ってみたいと思うようになったんです。自然な流れですね。
最初は普通の会社にお勤めしようと思って、2、3社採用試験を受けたんです。でもなんだかお先真っ暗に思えちゃって。オーストラリアでは女性がいきいきと働いていたから、その差に愕然としたんですよね。それに学歴も特技もない私は、きっとお茶汲みで終わっちゃうんだろうな、それじゃつまらないなって。……そこで思い付いたのが、オーストラリアで出会った派遣のお仕事。せっかくフリーなんだから、ちょっとやってみようかしら? ダメならやめちゃえばいいわ……そんな考えから始めたの(笑)。それで知人に紹介された税理士の先生に「派遣の仕事を始めたいんだけどどうすればいいの?」って相談をしたんです。そしたら「とりあえず会社を設立しないとダメよ。社名を決めて、住所を決めて、届け出を出しなさい」って説明されて。それで六本木のマンションの一室を自宅兼事務所にして、「テンプスタッフ」を始めることになったんです。
幸運なことに、私が会社を始めた時期は、ちょうど外資系企業が日本に参入してきた時期。外資系企業は、即戦力になる人を求めていましたし、本国で派遣社員を使い慣れていました。六本木界隈の外資系企業を中心に、パンフレットを配って歩いて営業をして。少しずつですが、仕事が入るようになったんです。
ザッツ・グッド・クエスチョンですね。資本金は100万円でしたから、すぐに尽きてしまいます。労働省からも呼び出されて、違法だなんだの言われて……。もうこんな仕事辞めちゃおうって、しょんぼり帰ってくると、派遣社員として登録していた方から電話があったんです。「篠原さん、この間紹介してくくた仕事、とても良かったです。またお願いします」ってね。一方、外資系企業の方からも、「この間、きてくれた派遣社員は素晴らしかった!」と電話や手紙がたくさん届いて。そういった感謝の言葉がどんどん増えてきたんです。それはもう嬉しいですよ。これはもうやるしかない!って思いました。会社と派遣社員、それぞれの感謝の気持ちが、私は必要とされているっていう存在価値を実感させてくれたんです。そんな感謝の気持ちに背中を押されて、私はこの仕事を続けてこれたんですね。それに働いてくれる人には給料を払わないといけませんからね。簡単に辞めるわけにはいかなかったんですよ。
この制度を作ったのは19年前のことですね。創業20年を前に「ここまで会社を続けてこられたのは、働いてくれる社会人皆さんのおかげ。この感謝の気持ちを何とか還元できないかな……」と考えていたんです。ちょうどそんなときに留学支援サービスのICC国際交流委員会の方との話をする機会があって、「海外で勉強をする機会を提供してはどうだろう?」という話になりまして。私自身が海外留学で人材派遣というビジネスアイデアを得た経験がありましたし、異文化や多様な考え方を知るという貴重な体験を、多くの社会人の方にしていただきたかったんです。
留学時代の思い出の写真と、当時着ていたセーターです。セーターは、袖と裾がほつれてしまったので、糸でかがって着ていたんですよ。帰国してからも「もしかしたら着る機会があるかもしれない」と思って、取っておいたんです。懐かしいわね。