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海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>テンプスタッフ株式会社 篠原欣子社長

先輩メッセージ / Message01:テンプスタッフ株式会社 篠原欣子社長

総合人材派遣会社の大手、テンプスタッフ株式会社の創業者であり、現役社長でもある篠原欣子氏。1973年にたった一人で興した小さな会社は、現在では売上高2600億円以上という巨大企業へと成長を遂げた。なぜ篠原氏は起業を決意し、そして成功したのか。そのヒントは、篠原氏の海外経験にあった!

PROFILE

篠原 欣子(しのはら よしこ)

1934年、神奈川県生まれ。
1953年、高木商業高等学校卒業。三菱重工業株式会社を経て、1966年にスイス、イギリスに留学。語学、秘書学を学ぶ。1971年にはオーストラリアに渡り、現地マーケティング会社「ピーエーエスエー社」に社長秘書として入社。1973年帰国し、人材派遣会社「テンプスタッフ株式会社」を設立。2008年にはピープルスタッフ株式会社と経営統合し、テンプホールディングズ株式会社を設立。代表取締役に就任。米国「フォーチュン」誌による「世界最強の女性経営者」に2000年より9年連続で選出されるなど、受賞歴多数。

篠原社長は1966年にスイス、そしてイギリスへと留学されています。当時はまだまだ女性の留学が一般的とは言えない時代ですよね。一体何が篠原社長を海外へと突き動かしたのでしょうか?

留学当時、私は31歳。結婚をしたり離婚をしたり、恋をしたり破れたり。人生いろいろありまして(笑)。何かをつかみたい!と思っていたんですよね。ちょうどその頃、勤めていた会社の近くに英会話のスクールができたので、さっそく入会したんです。まだまだ英会話スクールなんて珍しい時代でしたが、学生時代から英語が好きでしたから、ちょっとした習い事のつもりでした。でもそこで英会話を習っているうちに、もっと英語を勉強したい、海外に行きたい、という気持ちがどんどん膨らんできてしまって。そのうち何が何でも海外に行きたくなっちゃったの。海外に行ったら何かつかめるかも……なんて淡い夢を抱いてね。突き動かす、なんて言うとかっこいいですけれど、明確な目的なんて全然なかったんですよ。

セミナーなどで留学希望者と話をしておりますと、明確な目的を持たずに留学することを悪いことと考える人もいるのですが。

あら、そんなことないわよ! 私だって「ただ行ってみたい」という漠然とした気持ちから、海外に飛び出したんですよ。たまたま友達が結婚してスイスに住んでいたので、じゃあスイスに行ってみよう!という感覚。よく行っちゃったな、って自分でも思うもの。

特に20代後半から30代前半の女性は、自分の年齢を気にして留学をためらう場合もあるようなんです。篠原社長が留学を決意した際、年齢はネックにはならなかったのでしょうか?

それは日本に帰ってきて、皆に聞かれた質問ですね。でもね、「え、何?それがどうしたの?」という感じよ。日本特有の概念よね、女性の年齢を気にするのなんて。海外に行ってしまえば誰も年齢のことなんて言いませんよ。でももしかしたら、私はそれまでに結婚も離婚も経験していたから、年齢なんて超越していたのかもしれませんね(笑)。

ご家族は反対しませんでしたか?

反対はありませんでした。私の家は、父が早くに亡くなって、母が助産師をやりながら5人の家族を育てていたんです。母はプロの職業人で、男女関係なしに好きなことは何でもやりなさい、という方針。実際は、反対しても無駄だと思っていたのかもしれませんね。私は一度言い出したらきかない性格ですから。でも内心では、母は心配していたと思います。私が出発する朝、お化粧をする母の手が小さく震えていました。そっと泣いていたんですね。……その場面はすごく記憶に残っていて、今でも思い出すと涙が出てきてしまいます。

では実際に留学してから、辛い思いをしたことはありますか?

大変なことばっかりよ。スイスではドイツ語の学校に入学したんですが、言葉は通じないし、友達もなかなかできない。毎日、孤独にさいなまれましたよ。それから半年後にはスイスからイギリスに移住して、今度は母娘で暮らしている家にお手伝いとして住み込みながら、勉強しました。お嬢さんとは年齢も近く、そのころの生活は楽しかったですね。ただ経済的には、本当に苦しかった。お金がないから、とことん節約していました。ストッキングが伝線すると糸でからげていたので、クラスメイトにも笑われて。「ヨシーコのストッキング、ソーファニー!」なんてね(笑)。でも辛い時には、日本の友達が送ってくれた詩が支えになってくれたんです。「友よ みだりに人を羨むな/友よ みだりに嘆き給うな/人と生まれ 人と生きる/それぞれの道にそれぞれの苦しみ/それぞれの道にそれぞれの悲しみ/だが友よ しかしみんな歩いてきた道/君ひとりだけ嘆き給うな」 今でもこの詩は心に留めているんです。

なるほど。確かに、自分だけがつらいと思うからこそ、いっそうつらくなるのかもしれません。でもそれは皆が通っていく道でもあるわけですよね。そういった孤独との戦いも含めて、海外生活で得られるものは大きいと思いますが。

そうですね。今、振り返れば、語学力以外で得たもののほうが大きいかもしれません。国が違うと物の考え方や見方が違う。風俗や習慣が違えば、価値観も変わる。自分の中の許容範囲が広がったというのが、一番大きな収穫でした。自分の考え方に当てはめようと思っても、無理な話なんです。また、孤独に耐える強さも身につきました。日本では、家族や友達が助けてくれる。でも留学先では、たったひとりで考え、行動しなければいけないこともありますよね。こうした考え方は、その後の経営にも生かされていると思います。