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先輩メッセージ / Message22:チアリーダー 中山麻紀子さん

オンワードでの3年間の勤務を経て、2002年にはアメリカNFLワシントンレッドスキンズのオーディションを受けています。なぜアメリカを目指そうと思われたのですか?

オンワードでの活動は、スケジュール的にものすごく大変だったんです。朝から働いて、夜は練習して。さらに私はきちんとしたダンスの経験もなかったので、先輩に追いつくためにダンススタジオにも通って……。その3年間、かなり頑張ったので、今度はどこまで自分の力が通用するのかチャレンジしたいと思うようになったんです。

NFLのオーディションはどのようなものなんですか?

1次はウォーキング。正面にチームの経営者側の方たちがいて、そこに向かって歩いていくんです。それでまず人数を半分に絞ります。それから2次は、ターンやキックが入ったダンス。またそこで半分落とされます。最終審査になったら、今度は去年チームにいたメンバーも受験者の中に加わって、みんなで審査を受けるんです。最終審査ではまず5日間合宿をして、チームワークを見ます。ダンスが上手でも「あの新人、態度が悪いわ」ということがあれば、すぐにディレクターの目に入ります。それが実はすごく大切なこと。アメリカ人は、性格がストレートに現れている場合が多く、態度が悪いとすぐにわかります。そういう人たちがチームの顔として活動するのはよろしくないと判断されるのです。

そのメンバーの中から、どうやって最終的に合格者が決まるのですか?

合宿でレッスンしたダンスを2つぐらい発表したり、曲がかかっている中を自由に歩いたり、それから審査委員の前でスピーチしたり。そうした審査を通して最終的には40名の合格者が決まります。スピーチは1分程度の短いもの。ただスピーチは、その内容よりも、自信を持ってしゃべっているかとか、9万人の観客に対応出来る心の持ち主なのかということが見られていたのだと思います。

メンバーに選ばれたときの気持ちを聞かせてください。

嬉しかったです。単純にワシントンレッドスキンズのチアリーダーになれて嬉しい、というよりは、一緒にオーディションを頑張ったメンバーと本当の仲間になれるということが嬉しかった。新しい友達ができた、ということが幸せでした。

当時、日本人のチアリーダーというのは結構いたのですか?

私が4人目か5人目だと思いますが、ワシントンレッドスキンズでは初めてです。

チームにいろんな人種を入れようというダイバーシティ採用みたいなものはあるのですか?

レッドスキンズはワシントンDCを本拠地にしているだけあって、いろんな人種が受けていたし、いろんな人種を採っていたと思います。でもそれはやはり地域差があるんですよ。一度、ブロンコスというデンバーのチームと一緒にイベントに出たことがあったのですが、そのチームにはブロンドとブルネットばかり、そしてアジア人はゼロでした。アフリカンやアジアンが少ない地域では当然そうなるわけですよね。人種の構成は地域性によるものなのだと思います。

NFLのチアリーダーは、どのような活動をするのですか?

実際に試合でチアリーディングをするのは、プリシーズンの試合を入れて年に10試合 だけ。NFLの試合自体は17試合あるのですが、7試合はアウェイなのでそこでの出番はありません。なのでチアリーダーと言っても、1年間のフィールドでの応援活動は少なく、地域でのプロモーション活動が多いんですよ。たとえばサイン会をやったり、ステージで踊ったり。それから米軍基地への慰問活動などですね。ホンジュラスやコソボサラエボ、それからジョージワシントンの母艦にも慰問に行きました。母艦へは、マスクと耳栓をして、ジェットコースターみたいな飛行機に乗って行きました。母艦が海のどこにいるのかは軍事機密なので、私達にも場所がわからないようにしているんです。あれは貴重な体験でしたね。

日本に戻ってこようと思ったきっかけは何かあったのですか?

本場でチアを3年間やって、今度は私が伝える時期かな、と思ったんですよね。もう十分誰かに教えられるぐらいの経験はしたし、そろそろ日本でチアを広めることに集中したいと思いました。

アメリカで実際に生活してみて、日本人との違いを感じたことがあれば教えてください。

日本に帰って来て感じたことなのですが、日本人はアメリカ人に比べて楽しむと言うことが不得意。私達は今、学校で子供たちに「楽しむことは大切です。でもふざけるのと楽しむのは違います」と教えていますが、日本人はその「楽しむ」を得ることが本当に苦手ですよね。そこはもっと器用になってもいいんじゃないかな、と思います。

それから日本人は「何のためにこれをやっているのか」を見極めるのも苦手ですよね。たとえば歴史だったら「○○年にこれが起きた」というのを一生懸命覚えようとする。でも本当はそうじゃなくて、「こういう経緯で、こういう結果になった」ということを知るほうが大切ですよね。もうひとつ例をあげると、ワシントンにいたとき、ある政府関係者に会ったんです。その方はTOEICのスコアが990点。でもパーティーでは何もしゃべらないんですよ。チアの仲間も「あの人、本当に日本の国の機関で働いているの? さっき話しかけたけど、何も話さないの」と言っていました。彼はいい点数を取っても、それをうまく使えていないんです。一体何のためのスコアだという話です。

帰国後はどのような活動を?

帰国後は、まず千葉ロッテマリーンズチアパフォーマー「M☆Splash!!」で、ディレクターを務めました。当初はNFLのチアリーダーのように、しっかりとした考えを持った女性を集めた「憧れのお姉さん」のチームができればいいなと思ったのですが、これが思ったよりもうまくいかなくて。とういうのも、チームの女の子の意識が「チアガール」的存在、チアを見る男性の意識も低かったんです。

ただこれは、なんとなくわかっていたことでもありました。と言うのも、レッドスキンズ時代に日本でパフォーマンスをすることがあったのですが、そのときの一部のお客さんの対応もあまり良いものじゃなかったんです。チアリーダーは露出の高いユニフォームを着ているのですが、アメリカでは「ここは危ないな」という場所では、警察官やガードマンが付いてきてくれるし、何か変な行動をとろうとする人がいたら、そこらへんにいる人が「何やっているんだ!」と言ってくれるんです。でも日本でプロモーションをしていると、「一体どこ撮っているの?」というようなカメラ小僧がたくさんいるんですよ。他のメンバーの女の子達にも「日本人って何なの?」と言われたし、私はそれがすごく恥ずかしく思いました。

そしてそれと同じような状況が、野球界にもあったんですよね。なぜか「お姉さん達の団体=キャバクラ」みたいなイメージしか持っていない人達が多いんです。そして女の子達もそういう状況に甘んじてしまっている。それで、これはもっと子供の頃からしっかり教育をしたほうがいいと思って、ジュニアのチアスクールを始めることにしたんです。それと当時に、野球という男性社会の中でちょっと難しい思いをしたこともあって。ここは会社という組織も変えていきたい、との思いから、ビジネスマン研修チアリーダーシップも始めました。褒め合いや協力を通して、ひとつのチームにしていこうというビジネストレーニングなのですが、最近は、外資系企業の研修プログラムに採用してもらったりもしています。