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先輩メッセージ / Message14:指揮者 西本智実氏

西本さんは26歳のときにロシアに留学をして、そのまましばらくロシアを拠点に活動されていたんですよね。留学を決めたのはなぜだったのですか?

やはり土壌ですね。日本にも優秀な教育者はたくさんいましたが、クラシックはもともとヨーロッパの音楽ですから。宗教的なものや歴史的なものも含めて、日本で生まれたものではありません。音楽のバックボーンを知るという意味において、当然留学は必要だと思いました。

その中でもロシアという国を選んだのは、子供のときから好きだと思う演奏家にロシア系の人が多かったという理由です。それからロシアには、18世紀~19世紀の帝政ロシア時代に、ヨーロッパの教育システムがすべて入ってきたという歴史があります。特に私が留学したサンクトペテルベルクは、帝政ロシア時代、その当時のヨーロッパの粋を集めた街だったんですよね。しかも今、私たちが演奏をする作品の多くは、帝政ロシアが華やかかりし頃の作品。すなわちヨーロッパ中のたくさんの作曲家が、ロシアに演奏旅行に来ていた時代の作品なんです。そしてその後に革命が起きて、ソビエト連邦という社会主義国ができて。ヨーロッパ中の素晴らしい文化が、ロシアの地にそのまま冷凍保存された部分もあったんですよ。要するに、ソビエト連邦は資本主義国じゃなかったので、そういった音楽が、商業ベースに乗らなかったんです。

これは私にとっては非常に重要なことでした。ロシアでは、100年前のヨーロッパの音楽や奏法をそのまま追体験できる。秘伝のレシピをそのまま学ぶことができる。もちろん国もどんどん変わっていますから、100%昔のままとは言えないかもしれません。それでもそういうものが流出せずに残っているというのは、私にとっては何よりの教材でした。

でも、いろんな意味で、あの時期に行っておいて良かったと思いますよ。もうロシアに最初に留学したときから10年以上経ちますけど、当時と今ではまったくロシアも違いますからね。もし今、私が20代でこれから留学するとしたら、ロシアを選ぶことはないと思います。

あの時得られたものは、今となっては得られない?

そうですね。もう遅いかも。やっぱりタイミングはありますよ。パリやドイツに留学するのであれば、96年も今もそんなに違わないと思います。でもロシアは激変していますからね。

留学中、辛いと思ったことはありますか?

留学時代は、さほどありませんでした。生活に慣れていない、言葉に慣れていない。そういう普通の苦労です。たぶん私が留学していた頃は、日本ではロシアは物資がなくて困窮しているという報道があったと思います。でも実際、サンクトペテルブルクには物は普通にありましたよ。シベリアの奥地では物資が届かないということもあったかもしれませんけど、ちょっと過剰な報道だったと思います。

確かに97年、98年にはデノミネーションがあったり、金融危機があったりしました。でも私は留学生なので、市民ではないんですよね。苦労はあったけど、ロシア人が味わった苦労とはまた違ったものでした。

だから本当の苦労は2000年以降。留学ではなく雇用という形になった時に、本当の苦労がやってきましたね。やはり外国人の雇用には外国人雇用法があって、これがロシアではなかなかキツイんですよ。なかなか現地で働くことはできないんです。

それは芸術の分野であっても?

はい。たとえば今年9月に就任が決まったロシア国立交響楽団は、国立なので演奏者も公務員みたいな感覚で。そのオケに依頼されて指揮者として入ることになったけれど、外国人なので公務員のようには雇ってもらえない。しょうがないので私を迎え入れるために、新たに首席客演指揮者というポストを作ってくれたんですよ。そういう細かいしがらみみたいなものは、まだまだ存在するんです。もちろん、だんだん国のシステムも変わってきて、以前よりは楽になっていますけど。

でも物事が大きく動いている国というのは、昨日決まったことでも今日法律が変わって、またガラリと変わるということがある。そういう激動の時代に外国人として入っていくというのは、もう先の見えない森の中に入ってくような感覚ですよね。いつも寝るときに、朝起きたら3年たっていないかな、と思っていましたよ。3年たっていれば、答えは出ているはずですからね。こちらが努力して決められることなら努力をすればいいけれど、もっと大きな力が動いているわけですから。自分の無力さも痛感しました。

ロシアはそういった自分の力が及ばないことがたくさんある国だったわけですよね。そういうロシアで働くことをあえて選んだのはなぜですか?

演奏会をやったとき、ロシアに来て良かったな、とつくづく思ったんですよ。ロシアで学びたいと思って留学をして、演奏活動を始めて。苦労はしたけど、苦労を超える喜びがありました。山登りをして頂上に着いたら、ああ登って良かったと思いますよね。それと同じように、苦労をするけどそれとは比にならないくらい大きな喜びがあったんです。もちろんそれは、若さがあったからかもしれません。でもここなんだって。ロシアなんだって、直感的に思えたんです。

そして2007年にはロシアからヨーロッパへ渡り、今年はアメリカにも進出をすることになりました。それもやはりロシアで音楽活動を始めたからこそ、できたことだと思います。もし日本からアメリカに直接行っていたら、やはり単なるお客さんになってしまうような気がします。私を感動させてくれた音楽家たちは、ヨーロッパから大西洋を越えてアメリカに行っている。音楽の歴史を見ても、そういうパターンが多いんです。でも私は、世界のはじっこにある日本という国の生まれです。日本からロシアに移動して、そしてヨーロッパ、アメリカに入っていくという私ならではのアプローチをしてみたい。そういう人は今までいなかったので、最初は中々理解されませんでしたが、やってみる価値があると思います。今年は初めてニューヨークで公演がありますが、ヨーロッパを経てアメリカに行った成果が出るか出ないか。勝負の年ですけど、どんな成果が出ても悔いはありませんね。

西本さんは世界的にも数少ない女性指揮者ということで、実力よりもキャラクターに脚光を浴びることもあったと思います。それに対してはどんな風に感じていましたか?

正直、他人事みたいに感じていました。どうしてそんな風に言われるんだろう、どうしてそこが気になるんだろう。自分自身でありながら、他人のことを言われているような感覚ですね。勝手に自分を作られているみたいでした。だからそういうのに、振りまわされず、集中!だってそこで引っ張られて、立ち止まったら本末転倒です。自分の道を歩くなら、自分のペースで、自分の方法でやっていくしかないんです。

今思うと、若い時は生意気でしたから、いろんな人が助けてサポートしてくれているのも気づかなかったし、「こうしなきゃダメだ!」って偏屈になったこともありました。自分の歩き方を見つけるまでは、多少時間もかかります。でも結局、芸術の仕事は自分がいくら「これがいいんです!」と言ったって、見聞きする人が「良くない」と言ったらそこまでですよね。だから自分は精いっぱいやって、あとは受け取る人にまかせる。