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海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>アート・ディレクター 水谷孝次氏

先輩メッセージ / Message13:アート・ディレクター 水谷孝次氏

水谷さんの著書を読んで、思ったことなのですが。人間はマネーのMやメダルのMを求めてしまいがちですが、水谷さんはメッセージやメリーといった新しいMを求めているんですね。

いいこと言いますねぇ(笑)。僕は「MERRY」を10年やってきたけど、これまで誰も取材になんてきませんでした。でもようやく「情熱大陸」で取材されたりとか、「デザインの現場」で特集を組まれたりするようになってきて。今になって、ようやく時代がそういう風に変わってきたんでしょうね。もちろん、僕はそこまで考えていたわけではありませんよ? ただ、シンプルにデザインの本質が何なのかを考えていただけ。

20世紀のデザインは、クオリティを追求して、どんどん工芸的になっていきました。一方で、芸術はそうではなかった。たとえばマルセル・デュシャンは1940年代に、便器にサインを書いて、それで「泉」というタイトルをつけて発表しています。要するに、芸術はコンセプトを伝えるという考え方ですよね。どんどん芸術は、現代アートに移行して。ゴミだってアート、死体だってアート、という風にどんどん進化していきました。にもかかわらず、デザインはいつまでたってもクオリティの追求だけ。でもこれだけメディアが複雑になって、社会が複雑になっているのに、いつまでたっても私小説みたいなデザインをしているだけでいいのでしょうか? 僕は疑問に思いますよ。やっぱりデザインは、コンセプトがあるべき。社会とつながって、社会をよくしようというのが、本来のデザイン。社会に幸福をもたらすデザインというものを、これからは考えなくてはいけないんじゃないかと思います。

世界中の子供たちの笑顔を見てきた水谷さんですが、今の日本人の笑顔を見てどう思いますか?

僕は、アフリカをはじめとする発展途上国の子供たちの笑顔がすごくいいな、と思っているんです。ケニアのナイロビにある世界最大のスラムに行った時には、こんなところで撮影できるのかって思うくらい、みんな険しい顔をしていたんですよ。動物もやせこけていて、汚い水が流れている。すごい場所に来ちゃったなと思いました。でもコーディネーターの男性が「ここはオレの生まれた所だから大丈夫だ。来い」って言うので、おそるおそる車から降りてね。子供たちにカメラを向けてみたら、それはもう笑顔が素晴らしいんですよ。そのうえ、ある女の子に「あなたにとってMERRYって何?」って聞いたら、「YOU」という答えが返ってきてね。「私は今まで笑ったことなんてないし、メリーなんて考えたこともない。でも今日はあなたがこんなに笑わせてくれたから、私にとってのメリーはあなたよ」って言うんです。ケニアの子供たちは、ギリギリのところで生きていて、笑うことに対して飢えていて。でも一度笑い始めたら、本当に屈託のない笑顔になるんですよね。

今の日本は、物もあるし、お金もそこそこあるし、困ることはない。でも本当に大事なものも、そこそこしかないんです。ケニアから日本に帰ってきて撮影を始めたときには、日本での撮影は楽勝だろうと思ったんですよ。安全だし、言葉も通じるし、みんな笑ってくれるだろうと。……でもね、誰も笑ってくれないの。「一体何の意味があるの?」「笑えって言われたって、笑えないよ」と言うんです。そのうえ「MERRYって何?」と言ったら、「金持ちになる」とか「有名になる」といった味気ない答えが返ってくる。

マサイ族の子供に「MERRY」を尋ねたら、「雨が降ること」って答えてくれる。雨が降って、草が増えて、牛が元気になって、おいしいミルクが飲めて、少しは家も豊かになる……。そのひたむきさとピュアさが、いい笑顔になる。でも日本人にはそれがない。富や豊かさが笑顔を失わせて、中途半端にしてしまっているんですよね。苦しい環境だったり、追いつめられた環境の中にこそ笑顔がある。それは本当に皮肉なことですよね。

日本はいつの間にか、笑顔後進国になってしまったんですね。

うん。いろんな意味で難しい国になっちゃいましたね。たぶん僕の子供時代の昭和20年や昭和30年代だったら、みんな屈託なく笑ったでしょう。でも高度成長期やバブルを経て、笑うより金だという風潮になってしまった。ラブとマネーのバランスがおかしくなって、それで今の日本はあたふたしているんじゃないかな。

そんな日本の若者たちが海外に出ていく意味はどこにあると思いますか?

やっぱり「世界標準で物を見る目」を養うということですね。日本は辺境の島国で、どこか世界から孤立していると思う。大陸的につながっていないから、デザインだってどんどん孤立して、狭いところに入って、工芸的になるしかなかったんです。確かに、それがいい方向に作用する時代もあったでしょう。でもこれほど「世界はひとつ」の時代になっているのに、日本人だけがこんな小さな島国にとどまっているのは、本当にさみしいこと。インターネットが発達して、今や国境もなくなって、ますます世界標準で物を見て行かなくてはならない時代。世界に国境はないと知るためにも、どんどん世界に出て行く必要があると思いますよ。

僕も「MERRY」をやってみて、世界はひとつだってつくづく思うようになりました。肌の色なんて、住んでいる場所の紫外線が強いか弱いかの違い。喜びも悲しみも一緒なんです。どの大陸に行ったって、言葉はまったくいらない。笑顔でコミュニケーションすれば、簡単にひとつになれるんです。日本人はどうしても島国根性を持っているけど、それは今の時代では、相当マイナスなことです。僕はね、中国や韓国は、やっぱりヨーロッパと大陸でつながっていると思う。彼らは、そういうしたたかさを持っています。でも日本は、どこか能天気なんだよね。このままでは、どんどん孤独になってしまうだけ。日本も、骨太のコミュニケーション能力を持たなくてはいけない。21世紀は孤立する時代じゃなくて、つながる時代。国も企業も人間も、どんどんつながらないといけないと思う。これからは未来の人間のために、何ができるかを考える時代。そう考えると、国と言うレベルは外さないといけないんです。

これからはメイド・イン・ジャパンではなくて、メイド・イン・アースの時代ですね。

そうですよ。僕はオリンピックの仕事で中国に行ったときにも、日本人という意識は持たなかった。地球人であり、国際人であり、アース人だと思っていましたから。周りの日本人は「中国人と仕事をしたら、データをめちゃめちゃにされるかもよ」なんて言っていたけど、僕はそんな小さな話じゃないと思った。日本人だとか、中国人だとか、そういうせせこましい話はもういい。もっと大きな目を持って仕事をすべき時代なんだって。

確かに、開会式で笑顔をプリントした傘を開くシーンは、あのまま放っておいたら適当な笑顔を使われる可能性がありましたよ。開会式で話題になった、歌の吹き替えと一緒でね。でも僕は総監督のチャン・イーモウさんに、「子供の笑顔が未来の希望なんだ」「国ではなくて子供基準で考えないとダメだ」って、散々言ったんです。「9.11の後、中国が世界に向けて平和を訴えることができるとしたら、この開会式が最高のチャンスだよ」。そういうことも本当に強く言いました。そしたらチャン・イーモウも「わかった、心が大事なんだ」って言ってくれたんです。そういう思いは必ず伝わります。だから日本の若者もね、島国という意識を持たず、地球人として、国際人として生きてほしい。「世界はひとつ」という夢に向かって、頑張ってほしいと思います。

インタビュアー:株式会社エストレリータ代表取締役社長:鈴木信之

ライター:室井瞳子

PHOTO:堀 修平

※今回の先輩からのメッセージの取材には、カナダ留学経験者の林田あゆみさんが参加しました。トロントのインテリア事務所でインターンとして働き、そして大手空間デザイン会社への就職を果たした林田さんと、水谷さんとのプチ対談をレポートします!

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