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海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>アート・ディレクター 水谷孝次氏

先輩メッセージ / Message13:アート・ディレクター 水谷孝次氏

その後、水谷さんは日本を代表するデザイン事務所・日本デザインセンターに入社されて、どんどん80年代を代表するポスターを作られたわけですが。相当忙しい日々だったのでは?

そうですね。僕は美術教育を受けていないし、やっぱりコンプレックスがあったんです。僕は、デザインの論理もルールも知らない。だったら論理やルールは現場で作って、自分の体にしみこませるしかない。何をしているときでも、これは自分の栄養になると思っていましたよ。人の何倍も働いていたかもしれないけど、今思うとそれが楽しかったんです。まあ、当時の僕を知っている人は、「あのときの水谷は狂気じみていた」って言っていましたけどね(笑)。

自分の担当以外のコンペにもアイデアを出し、しかもそれが採用されたりしていたそうですね。チャンスを逃さないための秘訣はあったのですか?

たぶん僕は、ある種のずるさというものを、子供の頃に身につけてしまっていたんだと思います。先程も言った通り、父親は耳を負傷していましてね。父親の耳代わりに病院に一緒に付いていくと、周りの目はすごく冷たくて、横にいる僕もとてもさびしい思いをしたんです。そういう悔しい思いをしないためには、周りに勝たなくてはいけない。貪欲に行かなくてはいけない。そう思うようになってしまったんです。そのうち、子供ながらに人を観察するようになって。「こういう風にしたら人の心は動くんだ」って、おぼろげながら理解するようになったんですよね。まあ、悪知恵みたいなものですけどね。やっぱり勝ち抜いていくためには、いい意味での要領の良さは持たないとダメなんですよ。

自然界だってそうでしょう? 棘がある植物は、実を動物に食べられないためにそう進化している。葉っぱに同化している動物だって、敵に攻撃されないようにそう進化している。生き残るための術は、自然界にある物ならみんな持っているんです。自然界は甘くないし、業界もそう。走っているウサギを見つけて、それから追いかけるようなライオンじゃ、ウサギには逃げられるだけ。ウサギの穴の前でずっとファイティングポーズをとっているライオンじゃなくては、デザイナーはダメですよ。

人との出会いも、自分で勝ち取った?

そうですね。でも最近は、どこかに神様がいて、僕に出会いをくれているのかな、とも思っちゃう。たとえば海外に撮影に行くとき、こういう人に会えるといいなと思うと、たいてい会えるんですよね。これまで僕は、不思議と会うべき人に会えてきたし、するべき仕事にも出会えてきました。結局、本当に会いたいと思っていれば、会えるということなんですよね。思いが薄ければ、会いたくても出会えない。でも強い思いがあれば、必ず出会えると思う。

デザインや広告の第一線で活躍されていた水谷さんですが。90年代以降は、大きな仕事を断ることもあったそうですね。そのときに胸に去来していたものは何だったのですか?

単純に疲れちゃったんですよ。広告代理店はいろんな仕事をくれるけれど、結局、最後は裏切りばっかり。僕みたいな弱い立場の人間をうまく使い回して、寄ってたかって食い物にして、そしてポーンと捨てて行くだけ。僕はもともと社会を良くしたいと思ってデザインを始めたはずなのに、どんどん商業主義に塗りつぶされてしまって。気づいたら、自分はダメな人間になっていました。ある商品の広告では、その社長の息子が好きな歌手だという理由だけで、その歌手を起用して。ハリウッドの大スターを起用したキャンペーンでは、ものの45分で「家に帰りたい」と言われて。体は疲れ切っているのに、お金だけはどんどん貯まっていく。そのうち砂糖に群がるアリみたいに、いろんな悪い奴が来て、お金をむしり取っていって……。もう、いろんなことをチャラにしたくなっちゃったんですよ。ただただ、ゼロに戻りたかったんです。

そこから「MERRY PROJECT」に出会うまでの経緯を教えてください。

それからしばらくは、社会的・文化的なポスターを手掛けていました。阪神・淡路大震災が起こったときには、募金を訴えるポスターをチャリティーで作ったり。写楽生誕200年のときには、「写楽二〇〇年」のポスターを作ったり。写楽のポスターは、ワルシャワポスタービエンナーレの文化・アート部門で金賞を受賞することもできました。その年の広告部門は、ロシアのデザイナーが受賞したんですよ。これまでロシアのデザインと言えば、黒や赤で労働者や革命家のメッセージを伝えるというもので、僕はそういうものに憧れを抱いていました。でもきっと彼らは、長らく商業主義的なものに憧れを抱いていたんでしょうね。そして商業主義国の僕が社会思想ポスターで賞をとって、ロシアのデザイナーが商業ポスターで賞をとって。デザインの流れが変わってきたと、肌で感じることができたんですよね。その頃から、もっともっと個人の幸せをテーマにしたデザインをやってみたい、と思うようになっていきました。

そこで「MERRY PROJECT」に出会ったんですね。

最初は、僕が撮りためていた子供たちの写真を本にしよう、というところから始まったんです。その写真集のタイトルが「MERRY」だったんですよね。「MERRY」というテーマを見つけたときは、ようやくたどり着いたという感じでしたよ。デザインで人を幸せにして、デザインで元気や希望を与えることができるかもしれない。そしてこれこそが僕が本当にやるべきことなんじゃないか……。そこから、ラフォーレ原宿で展覧会をやることになって。「あなたにとってMERRYとは?」と質問して、笑顔を写真に収めて行く「MERRY PROJECT」が、本格的に始動していったんです。

改めて「MERRY」という言葉に込めた思いを教えてください。

もともと「MERRY」は仲の良いモデルのYOUちゃんが付けてくれた名前なんですよ。写真集のタイトルを何にするかと悩んでいた時に、「MERRYがいいんじゃない?」って言ってくれたんです。僕も「ハッピー」とかいろいろ考えていたけど、今いちピンと来なくてね。次の時代は笑顔。次の時代は晴れた朝。次の時代は子供の笑顔……。そう考えたときに、「MERRY」という言葉は、すごくしっくり来たんですよ。「ハッピー」というと薄っぺらに聞こえるけど、「MERRY」は曖昧。でもその曖昧さが良かったんです。

実際、ネイティブの人に「あなたにとってMERRYって何?」と聞くと、みんな一瞬考える。それからいろんな答えが出てくる。みんなそれぞれに自分の「MERRY観」を持っているんですよね。たとえばパリで撮影したときは、みんな30分でも、1時間でも考えてくれるんです。答えも「メリーを考えることがメリー」だとか、非常に哲学的。そのうちに「これはすごいプロジェクトだ!」って言ってみたりね(笑)。それがスペインに行ってみると、「メリー? 何言っているのよ。サンシャインよ!」「子供たちと遊ぶことよ!」と、すぐに答えが返ってくる。国や気候、都市によって、まったく「MERRY観」が違うんです。哲学的な答えから単純にハッピーな答えまで、すべて「MERRY」という言葉は包含しているんですよね。

原宿のラフォーレやロンドン、神戸、NY、そして北京五輪の開会式。次々と「MERRY PROJECT」を成功させていった水谷さんですが、デザイン業界からは「あれはデザインじゃない」という反発はありませんでしたか?

中には「水谷さんは、すごいことやっているよ」って認めてくれた人もいたけど、でもほとんどの人に「水谷さんはデザインを退いた」と受け取られましたね。だって子供の笑顔の写真をコンペに出したって、評価の対象にはなりませんから。やっぱりコンペで見られるのは、デザインのレイアウトがうまいとか、構成が素晴らしいとか、そういうスキルの部分。コンセプトなんてどうだっていいんです。しかもそうやってスキルを追求してきた人たちにしてみれば、新しいことを評価したり、新しいことを探すことは自己否定にもなってしまう。だから僕のやっていることには、誰も触ろうとしませんでした。でも僕は別にそれでも良かった。ただ、自分が好きなことをやっているだけ。自分がやりたい!と思ったことに対しては、至ってワガママなんです。何が正しいか、正しくないかは、今だにわかりませんけどね。

でももしかしたら、何年か後に、水谷さんがやっていることが本流になっていくかもしれませんよね。

そうかもしれませんね。でもそれは本当に孤独な戦い。みんな「水谷さんは変わり者だ」「あれはデザインじゃない」って言ってくる。結局、今の日本では「デザインって何?」と聞けば、「クオリティ」という答えが返ってくるのが普通なんです。今度、日本デザインコミッティーが主催となって「MERRY」の展覧会をやるけれど、それもコミッティーのメンバーの中で相当物議をかもしだしたらしいですから。コンパクトカメラで写真を撮って、本人が手書きでメッセージを書いて、あんなものがデザインと言えるのかと。グラフィックデザイナーの人からは、否定的な意見も出たらしいです。でも建築家やインダストルアルデザインの方が「社会に対してメッセージを発信して、社会をより良くしようとしているのであれば、これは新しいデザインなんじゃないか」って言ってくれて。それで最終的には、展覧会をやることになったんですけどね。

思い出の品

「MERRY」の写真を撮るときに使っているコンパクトカメラ「T2」。最初はどんなカメラで撮るのか悩んだけど、ヨドバシカメラのお兄ちゃんに「写真は被写体とのコミュニケーションだ」と言われてね。大げさなカメラはやめたんです。「MERRY」は、始まった当初から、ずっとこのカメラで撮影していますよ。