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先輩メッセージ / Message12:日本ビーチバレー 朝日健太郎選手

北京五輪で日本ビーチバレー史上最高の9位に輝くなど、日本のビーチバレー界を牽引し続ける朝日健太郎選手。バレーボール全日本エースという地位を捨てビーチバレーに転向した理由とは? 海外遠征で気付いた日本の良さとは? トップアスリートならではの先輩メッセージを、爽やかな笑顔とともにお届けします!

PROFILE

朝日健太郎(あさひ けんたろう)

1975年、熊本県生まれ。バレーの名門、鎮西高校で春高バレーとインターハイの準優勝を経験。高校卒業後は法政大学に進学し、全日本大学選手権で優勝。大学在学中に全日本代表に選出される。卒業後はサントリーに入社、Vリーグでの3連覇を成し遂げる。2002年、インドアのバレーボールからビーチバレーへ転向。白鳥勝浩選手とチームを組み、2007年7月のワールドツアーマルセイユでは日本人として18年ぶりとなる準決勝へ進出。2008年、北京オリンピックに出場し、日本ビーチバレー史上最高の9位に輝く。現在は、国内ランキング1位。株式会社CHINTAIに所属。

まず朝日選手がバレーボールを始めたきっかけを教えてください。

中1のときにバレー部に入ったのが、バレーを始めたきっかけです。小学生のときはサッカー部だったんですよ。小6の時点で170cmを超えていて体格が良かったものですから、将来を有望視されていたんですが……いかんせん運動が苦手でして(笑)。きっと体が大きすぎて、骨格と筋力のバランスが取れていなかったんでしょうね。走ったり、止まったりするのが本当に苦手な子供だったんです。それにグラウンドですりむいたり、汚れたりするのも嫌で。それで中学校では、比較的穏やかなだと思っていたバレー部に入ることにしたんです。少しバスケット部に入ることも考えたのですが、バスケット部は坊主にすることがルールでした。ちょうどファッションに目覚める時期だったので、坊主は嫌だな、と(笑)。本当にささいな理由です。

でも中学でも相変わらず体育は苦手でした。身長は中学で193cmまで伸びたのですが、中3のときは190㎝あるというのがとても嫌で。「身長いくつ?」と聞かれても「189.9㎝かなぁ」と、ごまかして言っていました。身長がいくら高くてもバレーは上手いほうではなかったので、身長が高いことがコンプレックスだったんです。体とメンタリティが揃ったのは、ちょうど20歳くらいのときですね。日本代表に召集されるころになって、ようやく体が動かせるようになってきたかな、と思えるようになりました。

その頃の代表メンバーは、他にどなたがいらっしゃったんですか?

中垣内さん、真鍋さん、南さん、大竹さん、泉川さん、青山さんが活躍していて。そこに僕らが若手選手として入っていったという感じです。

代表に選出されたときはどう思いましたか?

僕は、どうしても勝ちたい!という性格じゃないんですよ。全日本に入った時も、なんで入っちゃったんだろう?という感じ。自分の意志とは関係なく、レールに乗せられたという気分でした。

では、全日本時代の目標はどんなものでしたか?

僕の場合は、全国、世界というのは考えられなくて。常に目の前の試合に勝つことが目標でしたね。オリンピックで金メダルとか、国内リーグで優勝とか、いろんな目標設定があるけれど、僕はあんまりそういう目標は持っていませんでした。今でも、それは変わらないです。

そんな自然体が朝日さんの良さなんですね。

いや、これは僕の課題ですよね。やっぱり世界で戦う以上は、もっと貪欲に行かないといけませんから。そうでなければ勝てませんからね。……でもやっぱり試合はね。本当はあまり好きじゃないです。相当自分のスイッチを入れないといけないし、プレッシャーとかいろいろあるので(笑)。

2002年にビーチバレーに転向した時は、人気絶頂の時期ですよね。なぜそのタイミングで転向を?

ちょうど先輩の代から、全日本のレギュラーがちょうど僕らの代に移ってきたころですよね。今でこそわかるんですけど、僕は全日本時代、何かしら理由を後付けして頑張っていたんです。「ここまでやってやろう」という自発的な思いは、ほとんどなかった。「やらなきゃいけない」という冷静な自分が半分以上いたんです。全日本の舞台を用意されて、ユニフォームを渡されて、これはもう、責任としてやらなくてはいけない。……そう自分にすりこませて戦って。もちろん責任を負う以上は中途半端なことはできないし、練習もするし、真剣に戦います。最初はそれで良かったんですよ。華やかな舞台だし、刺激もあるし、興奮もしました。でもそんな思いのままでは、長くは続きません。4年たった頃から「このまま続けていけるのか」って思うようになってきたんですよね。

周りからしてみれば、「せっかく全日本の核として戦ってきたのに、何でビーチバレー?」って思いますよね。でも僕自身は、そうして注目されていた時期というのも意外と冷静だったんですよ。今思うと若かったのかもしれませんが、そんな自分が嫌だったというか……。もうひとつ、自分の意志で何かをやってみたいと思いながらも、なかなか行き場がない状態だったんです。そんなときに、元全日本の西村晃一選手にビーチバレーに誘われて。もう、ビビビッと来ましたね。中学時代から始まったバレー人生だけど、ここが動くタイミングなんじゃないかな、と。