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海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>西尾市立西尾中学校教師 小島裕治先生

先輩メッセージ / Message07:西尾市立西尾中学校教師 小島裕治先生

留学中の研修では、忘れられない出来事があったそうですね。

はい。研修の一環で、小学校訪問をしたときのことです。自分の自己紹介をするために、画用紙に足で名前を書いたんです。そしたら、ある子供が「アンビリーバボー!!!」と声を上げたんですよ。当時は子供たちの顔もマジマジ見れなくて、本当に彼らの顔も思い出せはしないのですが、その「アンビリーバボー」という言葉は、すごく頭に残っていたんですよね。

そのまま留学を終えて、帰って来て、春休みになって……。大学3年にもなると、いよいよ就職活動が始まってくるんですよ。友達はいろんな企業に面接行ったり、履歴書書いたり。でも、僕はなんだか自分がやりたいこととは違うな、と思うようになっていたんです。もちろん、できる仕事は限られているし、結局パソコン事務で食べていくしかないのかな、という思いは一瞬頭をよぎりました。でも、名城大学で講演したり、ホノルルで走ったり、ニュージーランドに行ったり、いろんな経験を通して、自分の新たな可能性も見えていて。こんな楽しい経験をしてきたのに、この先30年、40年、自分にできる事務的な仕事をこなしていくのは何か違うんじゃないか。そう思ったんです。

そこで自分は本当は何をしたいのかを考えて、パっと思い浮かんだのが「アンビリーバボー」の言葉。あのとき、自分は子供の前で字を書いただけで、心を揺さぶることができたんだよな。あの経験って何か生かすことができないかな。そういえば、名城大学での講演でも、自分の経験を話したことで相手に感動を与えることができたんだよな。自分も夢を持って頑張ろうって、学生たちに思わせることができたんだよな。自分だけが伝えられるメッセージが、仕事の強みになることがあるんじゃないかな……。そう考えたときに、思いついたのが教師という仕事。そこで初めて、「よし、僕は教師になろう」と決めたんです。「できること」ではなく「やりたいこと」で考えた瞬間に、答えがやっと見つかったんですよね。

そこで、ようやく自分の夢が定まったんですね。

……でもそこから、長い苦労があったんです(笑)。まず、僕が教師を目指し始めたのが大学3年。普通は教職の単位は1年から取り始めないといけないんですよ。すごく遅いスタートだったので、とれるかどうかも難しいと先生には言われました。でも自分の思いを話したら、「大学卒業後も通って、科目を履修すれば不可能ではない」と教えてくれて。そこからは、がむしゃらにやるだけですよね。

一応、大学3、4年のときには、教師以外の就職活動もしたんですよ。まあ、保険として、どこかにひっかかればいいかなという気持ちですよね。でも気持ちが就職にはなかったので、うまくいくはずはなくて。ちょうどそのとき、教授のひとりに「大学院に来ないか」と言われたので、「じゃ、大学院に行くか」と。もともと大学院に行こうなんて気持ちは全然なかったんですが、何かしら背中を押された部分があったんですよね。それで院に通いながら、単位をとって、教育実習にも行って、教師になる準備をしていったんです。

教育実習での指導法は、誰かと相談しながらあみだして行ったのですか?

教育実習は母校の高校に3週間でしたが、そのときはおぼろげにOHPを使ってやればできるのかな、というアイデアしかなくて。そのころは今のように、足で黒板に字を書くなんてできないと思っていましたから。それで、高校の時の担任が教育実習の担当教諭だったので、「OHPを使って、ペンでフィルムに字を書いて授業をしようと思います」と相談したところ、先生が「お前も受けたことあると思うが、サテライト授業で使ったテレビが全教室に置いてある。そのでっかいテレビにパソコンをつなげれば、パソコンで授業ができるぞ」と言ってくれたんです。そこで実習中は、パソコンを使って授業をすることにしました。

実際に教壇にたってみて、どうでしたか?

もちろん不安ではありました。でもパソコンを使って授業はできたし、生徒たちも可愛くて優しい子ばっかりで。板書をするときにも、これやって、あれやってと言うと、きちんとやってくれたり。なんか一緒に授業を作り上げた感じで、3週間があっと言う間に過ぎましたよ。

そこで夢がようやく形になってきたんですね。

そうですね。あとは試験に受かるだけだったんですけどね(笑)。でも、そううまくはいきません。最初は勉強不足ということもあって、合格できなかったんです。そこで今度は、アメリカに留学することに。ニュージーランドの留学は1ヶ月だけだったので、もっと長期で行って、しっかり勉強をしてこようと思ったんです。

著書では、アメリカ留学では実りが少なかった、とありました。それはどうしてでしょうか?

たぶん、目標があまりにも大きすぎたんでしょうね。僕の一個上の先輩がアメリカに留学して、TESOL(テイソル)という英語教授法の授業を受けたという話を聞いて、僕自身、興味を持っていました。留学には目標が必要ですから、僕もアメリカでTESOLの授業を取ろうと思ったんですよ。でもその授業を受けるためには、TOFELの試験で550点以上が必要で。当時の僕のTOFELの点数は400点ぐらいですから、全然足りていなかったんですよね。なんとかしてアメリカにいる3ヵ月の間に、TOFELの点数を上げて受講できればいいな、と思いましたけど、英語力ってそんなにすぐに上がるものではないですから。しかも授業後は友達と遊んだりもしちゃって……。遊んでいても英語力はあがらないし、目標は達成できないし、なんか違うなあと感じるようになってしまったんです。それで、このままじゃいけない!と思って、日本に帰国することに。

6月にアメリカに行って9月に帰って来て。そこからはまた塾講師のバイトをしながら、教員試験を受ける日々。でも、やっぱり海外に行ってTESOLを受けたい、という気持ちもずっとあったので、試験も受けながら英語の勉強も続けていたんです。地道にやっていったところ、徐々に点数が上がって、ようやく目標点数に達することもできたんですよね。そこで、再びTESOLの授業を受けるため、留学を決意。カナダでもTESOLの授業を行っている大学があったので、アメリカは一度行ったので、今度はカナダに行ってみることにしたんです。

カナダ留学は成功しました?

カナダ留学は、達成感がありました。自分のやりたいこと、勉強したいことがはっきりと見えていたので。

カナダから帰って来たら、再び教員採用試験ですよね。就職活動中に悔しいことをされたことはありますか?

二度目の試験のときは、正直、手ごたえがあって、1次くらいは受かるだろうと思ったんです。……そう思ったのに、落とされたんですよね。公立以外に私立の高校の募集も受けて、これも自分自身は手ごたえがあったのに、不合格でした。ああ、これは自分の実力以外のところが原因なのかな。手がないことがネックなのかなと。その当時は、相当落ち込んで、あきらめようと思ったりもしました。