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海外生活サプリHOMEMESSAGE:先輩からのメッセージ>東京ドームホテル総料理長 鎌田昭男シェフ

先輩メッセージ / Message03:東京ドームホテル総料理長 鎌田昭男シェフ

鎌田シェフがヨーロッパに渡られたときは1971年だったんですよね。料理留学をしている日本人と言うのは、そんなに多くなかったんじゃありませんか?

ちょうど僕らの時代から増えてきた感じですね。でもフランスはやっぱり少なかったかも知れませんね。フランスでは12件くらいのお店で働きましたが、日本人スタッフは初めてというお店が半分くらいでしたから。でも僕はものすごく働きましたからね。僕たちのあとの日本人は働きやすくなったと思いますよ(笑)

それでは6年間のフランス生活で、料理以外のことではどんなことを学びましたか?

まずオヤジの哲学ですね。やさしい人、厳しい人、冷たい人、料理人にはいろんなオヤジがいるんです。そしてオヤジひとりひとりにいろんな生き方があって、「厳しいから、冷たいから、あの人は嫌い」とは決して言えない。ある三つ星レストランのオヤジの下で働き始めたときに、最初は「冷たい人だな」と思ったんですよ。でもね、働いているうちに「これは冷たいんじゃない。守らないといけないものがあるから当たり前なんだ」と気づいたんです。やっぱり三つ星店はブラッスリーやビストロとは違う。価値のあるものを提供しているんだから、厳しさがないといけない。そういったオヤジの生き方というのかな。そうものを学ばせてもらいました。

それから、日本の集団主義とヨーロッパの個人主義の違いも、向こうで学んだことのひとつです。フランスでは、常に自分が正しいんですよね。たとえ間違っていたとしても正しい(笑)。例えば、自分があるレストランで働いていて腕が悪くてやめざるをえないという場合でも、向こうの人は「あの店は自分には合わないからやめるんだ」と、そう考えるんです。それから、絶対に自分から謝ることがない。日本みたいに「まあ、いいか」で済ますことが、まったくないんですよね。

これは日本で暮らす際にも、大事な考え方だと僕は思う。もちろん個人主義一辺倒では、欠点もたくさんあります。でも、日本人は自己主張ができなさすぎる。外国人は自己主張をしますよね? だって海外では、自己主張をしないと信用されないんですよ。僕も最初は自己主張ができなかったんです。でも主張しなくてはいけないということを、3年くらいたってようやくわかったんですよね。最初は何でも「Wi(はい)」ばっかりだった。だからバカだと思われていたんじゃないかな。3年くらい経って、ようやく「NON(違う)」が言えるようになりました。そう考えるとね、やっぱり外国の空気は絶対に見ておくべきですよね。半年でも1年でも、旅行でもいいからね。いろんな考え方を見ておかないと、大局的に物事を語れない。非常に狭い枠でしか正論を満たせないと思う。いろんな正論があるということを、海外で見ておいたほうがいいんですよ。

1977年に日本に戻られてからの鎌田シェフのご活躍は、目覚ましいものがありますね。まず六本木の「オー・シュヴァル・ブラン」で料理長に就き、そして86年にはホテル西洋銀座の総料理長に就任され、そして2000年には東京ドームホテルの総料理長に就任されています。街のレストランからホテルへと活躍の場所を変えたのには、何か理由はあるんでしょうか?

「オー・シュヴァル・ブラン」で働いているときに、周りのレストランを見回したら、50代60代のシェフが一人もいなかったんですよ。みんな自分と同じ30代。それで、自分も50代になったら、仕事がなくなるんじゃないか、って思ってね。料理だけじゃ、この先ダメなんじゃないだろうか、とふと思ったんです。それでオーナーに頼んで会計士の方に聞きながら、経営も自分がやらせてもらうようになっていったんですよね。そうして多忙によって、病に倒れてしまったんですよ。

その1年後に、ホテル西洋銀座がオープンするので、総料理長を務めてくれないかという話があったんですが、体のことを考えて2度お断りしたんです。3度目もお断りしましたが、どうやったらやっていけるかと考えた時に、「ホテルは宴会も含めてレストランが数軒あるわけであって、それぞれに人材を登用してそれを全指揮すればやっていける」と考えて、引き受けることにしたんです。

それから今の東京ドームホテルに移る時には、やっぱり1000室規模という点が魅力に思えましてね。しかも話が来たのがオープンの3ヶ月前ですよ? 1ヶ月半前にプロジェクトに加わり、どうしたら指揮できるだろうと考えたら、以前の10倍と考えれば良いと思ったんですよ。ただ不安だったのは、あまりにも時間がなさすぎたことですが、フランスで身につけた生命力を持ってさえすればできるだろうと。

ホテルのレストランで、初めてイタリアンを導入されたのも鎌田シェフなんですよね。

フランスから帰って来て、新しいフランス料理がブームになって、このままじゃダメだと思ったんです。というのも、フランス料理が一世を風靡して、料理人があまりにもおごりたかぶっていたんですよね。このままじゃ、フランス料理の進化はここでとまってしまうだろう。そう、僕には思えたんですよね。

それじゃあ、どうすればいいか。今はフランス料理が流行っているから、その反動でもっとシンプルな料理が流行るはずだ。そう考えたんですね。結局、その頃フランスで修業した若い料理人たちは、みんな2つ星、3つ星で働いてきたわけです。庶民の料理と呼べる西洋料理がほとんどなかった。それではダメなんですよ。僕らのやっていたフレンチは、あまりにも「着物を着ている料理」だったんです。そこでホテル西洋銀座で、イタリアンをオープンさせたんですけどね。今度は、どこもかしこもイタメシ、イタメシで(笑)。

また、このままじゃダメだと思いましたよ。あまりにもイタリアンが増えすぎちゃったんでね。そこでまた考えた末の結論が、今度はスペイン。僕は15、20年くらい前から目をつけているんですよ。いつの間にかフランスを追い越して、2次元、3次元の料理を出していますからね。