自分の中で「36歳で結婚する」というのを決めていたからですね(笑)。当時は21、2歳ですから、12年たつと33、4歳でしょう? 逆算して、6年日本、6年フランスがちょうどいいと思ったんですよ。でも、いざ36歳になったときには大変だったんですよ。結婚相手が見つかんなかったんだから(笑)
もちろん、何が正しいなんかはわからなかったんですけどね。でも、自分の洞察力にはある程度の自信みたいなものを持っていたんですよ。中学のときに、担任の先生が「お前は、洞察力はすごいものを持っている」って言ってくれたことがあって。そのときには洞察力という言葉の意味がわからなくて、あとで辞書で調べてね。ああ、自分にはこんな才能があるのかと。それじゃあ、これを徹底的に伸ばしてやろう、と思っていたんです。
当時は、日本のホテルレストランはさまざまな系列に分けられていたんですよ。ホテル ニューグランド系列、帝国ホテル系列、日活ホテル系列、日本郵船系列、その他の系列とあって。それらのホテルレストランで修業しようと心に決めて、山本直文先生、白洲次郎先生などに紹介していただきました。そうすれば日本のフランス料理は、だいたいわかるだろうと睨んでいたんですよね。
でも当時の僕は、相当生意気だったと思いますよ? 「この料理はどうして作られたんですか?」「この料理はどうしてこういう名前なんですか?」と、質問ばっかり。実際に知りたいと思うから、上の人間に聞いていたんですよ。でもそうすると、先輩は「うるせぇ、馬鹿野郎。そんなことより仕事を覚えろ」と、言うわけなんです。有名なレストランに行っても、ホテルに行っても、誰に聞いても答えてくれないんですよ。というのも、みんなその答えがわからないんですよね。そんな状況でしたから、早くフランスに行って、その疑問を解きたくなりましたよ。
はい。恩師の山本先生が「フランスの地方料理を知らずして、フランス料理を語れない」と言っていましてね。それで、まずは国境地帯で修業をしようと考えました。スイスとの国境、ドイツとの国境、ベルギーとの国境、スペインとの国境、イタリアとの国境。国境付近の町で働いて、それからフランスの中心地パリで働けば、だいたいフランス料理を知ることができるだろうと。それから最後の1年間は、アメリカに渡って、料理というよりもビジネスを見てやろうと。そうすれば、きっと面白い経験ができるだろう。そんな風に6年間の計画を立てたんです。
最初はスイスのローザンヌの近くにあるホテルで働きました。でもそこでも、「違う! こんなのフランス料理じゃない」と、思ってしまってね(笑)。「本場なんだから、もっとおいしいはずだ!」という思いが、自分の中にはあったんですよね。でもどこか違うんです。それで、もう「やめる!」と、こうですよ(笑)。それから次の店はどうしようかと悩んでいたら、近所のお店のオーナーが「フランスのアルザス地方に、いいレストランがあるから行ったらどうか」と話を持ってきてくれたんです。でも私は「いやだ。自分の勘では違うと思う」と首をふってね。
そうこうしているうちに「ジュラという地方に、ポール・ボキューズと腕をきそったオヤジの店があって、人を探してる」という話がありまして。「じゃ、行く」と、今度は頷いたわけなんです。すごいオヤジだったんだけどね。でもそこで働いても、やっぱり違うと思った。もっともっと、おいしいはずだ。そうやって、お店をどんどん変えていったんです。そうしてようやく出会った新しいフランス料理は、爽やかでおいしくて……。日本の重いフランス料理とはまったく違ったんですよね。
それはもう、死に物狂いで働いて、オヤジに紹介してもらうんですよ。それに僕は、労働の許可もなく働いていたので、その店にとって絶対に必要な人間になろうと思っていましたからね。フランス人の倍は働いていたんです。もちろん、時には偏見だってありました。でも、それは耐え忍ぶしかない。目的があれば、何を言われようが関係ないんです。……まあ、何回かはぶっとばしたかな(笑)。
パリで働いていたときには、朝8時から、夜中の1時、2時まで働いていました。休憩が15分だけあって、5分でご飯を食べて、後の10分は厨房の床で仮眠をとって……。でもそれが快感だったんですよね。だって、働けば働くほど、いろんなことが身に付いてくるんだから。ここで、精神力と生命力、それから洞察力を磨けば、きっと大卒にも勝てる。そう思えたから、働くのが楽しくて仕方がなかったんですよ。長時間働くほど、ああ、身に付いている、身に付いているってね。まったく苦労なんて、感じませんでしたよ。
修業時代に使っていた「フランス料理用語辞典」の原書と、恩師・山本直文先生の「仏英=和料理用語辞典」。ボロボロになっているけど、フランスではそんなに開かなかったな(笑)。ただ料理用語を知っていたおかげで、フランスで言葉のやりとりができたというのはありますね。