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先輩メッセージ / Message03:東京ドームホテル総料理長 鎌田昭男シェフ

1971年にフランスに渡り、そして伝統のフランス料理とはひと味違った“ヌーヴェル・キュイジーヌ”を日本に伝えたフランス料理の立て役者・鎌田昭男シェフ。現在「東京ドームホテル」の総料理長として活躍している鎌田シェフに、フランスでの過酷な修行時代や料理への情熱について熱く語っていただきました!

PROFILE

鎌田昭男(かまた あきお)

1943年、茨城県生まれ。1965年、レストラン「クレッセント」、「銀座日航ホテル」、「帝国ホテル」などで修業。1971年、渡欧。スイスの「ホテルベルビュー」、フランスの「ホテル・ド・パリ」、「パクトル」、「クロコディル」、「ムーラン・ド・ムージャン」などで腕を磨く。1977年に六本木の「オー・シュヴァル・ブラン」の料理長に、1986年には「ホテル西洋銀座」の総料理長に就任。先見の明を発揮して、ホテル内に本格イタリアン「アトーレ」をオープンする。2000年、客室1006室を擁する「東京ドームホテル」総料理長となる。2008年には、専務取締役 総料理長に就任、現在に至る。

まず、鎌田シェフが料理の道へ進もうと思ったきっかけを教えてください。

家は貧乏でしたから、高校に進むなんて選択肢はなかったんです。ところが中学を卒業する時点で、まだ就職先が決まっていなくて。自分が将来、何になるかなんて、全くわからない状態だったんですよね。そんなときに、近所の人が家に来て「フランス料理をやらないか」って言ってきたんです。その人の息子がたまたま料理人をやっていて、人手が足りないというんですよ。それじゃあ、やってみようかと。でもね、僕は茨城の田舎で育ったもんですから、フランス料理なんて食べたこともないんですよ。肉だってそんなに食べたことないくらいなんだから(笑)。本当に何もわからないまま、料理の道に入ったんです。

最初のお店はどちらにあったんですか?

川崎にありました。最初の店は、まあ、フランス料理というよりは洋食屋さんですね。今考えると、全然ダメな料理ですよ。ハヤシライスとかチキンカツとかね。でもそこで働き始めて、その店の料理を食べてみたら、それがうまいのなんのって。この世の中に、こんなにうまいものがあるのかって、すっかり驚いてしまったんですよ。ちなみに海外から帰ってきて、同じものを作って食べてみたら、まずくて食えたもんじゃなかったんだけどね(笑)。

結局、そのお店では2年半くらい働きました。もう、朝8時から夜中の1時くらいまで働かされまして。当時は15、6歳ですよ。まだ子供じゃないですか(笑)。なんでこんなに働かなくちゃいけないんだって、そればっかり考えてました。その当時は、まだ料理がそんなに好きじゃなかったんですよね。

では、いつ頃から料理が楽しくなってきたんですか?

まだまだ全然(笑)。この頃はまったく楽しくなんてありませんでしたよ。とりあえず食べていくために朝から晩まで働いていました。そうやって働いていると、たまに普通の会社に出前に行った時に、あることで馬鹿にされて腹が立ち、やはり自分も勉強をしないといけないって思ったんですよ。それで中学を卒業して3年後に、コックをやりながら夜間の高校に通うことにしたんです。

それから高校は無事に卒業。その後、今度は大学に行こうかな……とも思ったんですけど、よくよく考えると、大学へ行くと卒業した頃にはもう26歳、7歳になってしまうんですよね。そこから人生を始めるんじゃ、もう遅い。それに気づいて、ようやく「料理一本で行こう!」と心に決めたんです。

フランス料理というのは、もうそこで決定していたんですか?

そうですね。フランス料理というのは、もう決めていました。そこで今度は、フランス料理の基礎をきちんと学ぶために、調理学校に通うことにしたんです。ところが、ちょうど1年くらいたった時に、ある授業でフランス料理の先生が活け伊勢海老を使って“野菜炒め”を作り始めたんですよ。フランス料理の授業で“野菜炒め”ですよ(笑)? その料理を見るなり、思わず「こんなのフランス料理じゃない!」って、言ってしまっていたんです。まだまだフランス料理のことなんてわからない若造ですけど、「これは違う」って、思いこんでしまって。

その先生は結構名のある方だったんですけどね、もう77、8歳だったから、半分ボケちゃっていたのかもしれない(笑) すぐさま「もう、こんな学校やめる!」って、担任の先生に言いに行ったんです。そしたら今度は先生が「鎌田君、言いたいことはわかった。でも、あの先生は本当に一流の料理を学んできたんだよ」と言うんです。そして「もう実習はいいから、授業の後に先生とお話をしなさい。そうすればきっと、何かしらの哲学を学べるはずだから」と、諭してくれたんです。

それから実際に、そのフランス料理の長老ともいうべき先生と料理について、じっくり話をするようになりましてね。「料理をするうえで、素材と対話することが大事だ」と、そういうことを教わったんです。その言葉を聞いたときに「この学校で学ぶべきことは、もうすべて学んだ」と思いましてね。すぐに学長に「学校をやめるので、日本で一番のフランス料理の先生を紹介してください」と言いに行きました。それで学長に、フランス料理用語辞典を編纂している山本直文先生を紹介してもらいまして。フランス料理を学問的に学ぶようになったのは、そこからかもしれませんね。

そのころ何か目標にしていたことはありますか?

どうしたらフランス料理の料理人として一人前になれるか。そのためには、どういう計画を立てればいいか。そればっかりを考えていました。そこで21、2歳のときに「まず6年間日本で働いて、それから6年間フランスに行こう」と、自分の中で計画を立てたんです。